墓参りで思ったこと 【12月30日(月)】
2002年12月30日 すっかり「年賀状」の習慣から離れつつあるが、こればかりは古いしきたりでも評価したいものだ。1年に1度、手紙を書くなんていうのは、礼儀が感じられるし、どこか洒落ているように思う。今年、何も用意しなかったことを少し後悔している。年賀状を書きたくても喪中の人は書けないのでしょうけれど。
受験生時分に葬式に行った覚えがある。あまりに痩せ細った死体を見ても今ひとつ実感が湧かなかった。「これは誰だ?」その程度にしか思えないほど、しばらく会わないままに逝ってしまった伯父の体は変わり果てていたのだ。しかし、後になって、その過程を考えると一気に涙が溢れて体が震えた。
今日、五条坂で伯父の名が刻まれた墓石を見たのは、昼過ぎだった。昔は、正月になると僕の親父、その兄である伯父の両家が祖母の家へ集まって年を越したものだ。僕ら世代の成長が、その通例を打ち破ったわけなのだが、これも止めるべきではなかった恒例行事だったのかもしれない。何でも変革すれば良いというものではないのだ。まずは例に従ってみることも1つの冒険である。
受験生時分に葬式に行った覚えがある。あまりに痩せ細った死体を見ても今ひとつ実感が湧かなかった。「これは誰だ?」その程度にしか思えないほど、しばらく会わないままに逝ってしまった伯父の体は変わり果てていたのだ。しかし、後になって、その過程を考えると一気に涙が溢れて体が震えた。
今日、五条坂で伯父の名が刻まれた墓石を見たのは、昼過ぎだった。昔は、正月になると僕の親父、その兄である伯父の両家が祖母の家へ集まって年を越したものだ。僕ら世代の成長が、その通例を打ち破ったわけなのだが、これも止めるべきではなかった恒例行事だったのかもしれない。何でも変革すれば良いというものではないのだ。まずは例に従ってみることも1つの冒険である。
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