プロレス界の理不尽大王が死去 【3月19日(水)】
2003年3月19日 1週間前、後楽園ホールの通路で大男とすれ違った。男は数人に支えられるようにして、ゆっくりと通路を歩いた。そして、うっすらと笑みを浮かべ、光の射すホールに設けられたリングを覗いた。
その日、僕は初めてWEWのプロレスを観た。WEWは、多くの団体を渡り歩いた冬木弘道が立ち上げたプロレス団体で、エンターテインメント性を強く押し出したスタイルで知られている。最近ではAV女優同士が対戦したことも話題となっていた。
http://www.sanspo.com/fight/top/f200211/f2002110504.html
(参照先:サンケイスポーツ)
メーンイベントの直前、場内のスクリーンに映像が流れた。控え室からの生中継だ。団体タイトルをかけたタッグマッチだが、片方のチームがどうにも拍子抜けだった。王座防衛に意気込むチームに対し、挑戦者側の一人は「勝てねえよ。無理だよ」と弱気につぶやいた。試合が始まり、そのレスラーは不利な状況に追い込まれた。しかし、そこからパイプイスを使った反則攻撃で形勢逆転。その時、そのレスラーが叫んだ。
「勝てっかもしんねー!」
面白かった。そのほかにも、パートナーがカウントされるのをカットするために乱入してきた選手が、フォールしているレスラーを攻撃するのではなく、カウントしているレフェリーの手を直接止めてしまったり、4WAYタッグマッチ(2人1組が4組参加のバトルロイヤル戦)では“タッチ返し”の応酬で結局、同じ選手ばかりがやられたり。
そんな面白いエンターテインメントプロレスを確立してきた“理不尽大王”冬木弘道が19日、42歳にしてこの世を去ってしまった。「リングの上で死にたい」と癌に冒された体で、一日限りの外出許可をもらって来場。“最後の一戦”電流爆破マッチを申し入れていた相手、橋本真也からオファー受諾の返事を取り付けた。僕と冬木がすれ違ったのは、その少し後のことだった。まさか、1週間後に訃報を聞くとは思いもしなかった。ご冥福をお祈りします。そして、頑張れWEW!
爆笑《冬木弘道の歴史》
http://www95.sakura.ne.jp/~tetsuo5181/huyuki02.htm
(参照先:冬木弘道公認WEWファンサイト)
その日、僕は初めてWEWのプロレスを観た。WEWは、多くの団体を渡り歩いた冬木弘道が立ち上げたプロレス団体で、エンターテインメント性を強く押し出したスタイルで知られている。最近ではAV女優同士が対戦したことも話題となっていた。
http://www.sanspo.com/fight/top/f200211/f2002110504.html
(参照先:サンケイスポーツ)
メーンイベントの直前、場内のスクリーンに映像が流れた。控え室からの生中継だ。団体タイトルをかけたタッグマッチだが、片方のチームがどうにも拍子抜けだった。王座防衛に意気込むチームに対し、挑戦者側の一人は「勝てねえよ。無理だよ」と弱気につぶやいた。試合が始まり、そのレスラーは不利な状況に追い込まれた。しかし、そこからパイプイスを使った反則攻撃で形勢逆転。その時、そのレスラーが叫んだ。
「勝てっかもしんねー!」
面白かった。そのほかにも、パートナーがカウントされるのをカットするために乱入してきた選手が、フォールしているレスラーを攻撃するのではなく、カウントしているレフェリーの手を直接止めてしまったり、4WAYタッグマッチ(2人1組が4組参加のバトルロイヤル戦)では“タッチ返し”の応酬で結局、同じ選手ばかりがやられたり。
そんな面白いエンターテインメントプロレスを確立してきた“理不尽大王”冬木弘道が19日、42歳にしてこの世を去ってしまった。「リングの上で死にたい」と癌に冒された体で、一日限りの外出許可をもらって来場。“最後の一戦”電流爆破マッチを申し入れていた相手、橋本真也からオファー受諾の返事を取り付けた。僕と冬木がすれ違ったのは、その少し後のことだった。まさか、1週間後に訃報を聞くとは思いもしなかった。ご冥福をお祈りします。そして、頑張れWEW!
爆笑《冬木弘道の歴史》
http://www95.sakura.ne.jp/~tetsuo5181/huyuki02.htm
(参照先:冬木弘道公認WEWファンサイト)
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