僕は人の悪口を言うことをはばからない。こんなふうに書くと「イヤな野郎だ」と思われるかもしれないけれど。僕は、むしろ“おべっか”や“愛想笑い”の方が嫌なのだ。例えば「今日のライヴ、どうでした?」と聞かれて「いや、今日は伝わってくるものがなくてダレたよ」と真っ向から言う勇気を持ちたい。もちろん、なんでも正直に言えばいいというものではない。このやり方で僕は周囲に敵を多く作ってしまう。損な性格だとも思う。しかし、それは本当に相手が苦しい時には、しっかりと伝わると信じている。少なくとも逆の立場の場合、そうだから。とは言うものの、さすがに年齢を重ねていく中で、むやみに言うことは少なくなってきた。そして、悪口を言うには、より一層の勇気が必要になってきた。それでも根本的に考え方は変わらないけど。

 さて、悪口と似て非なる言葉に「陰口」がある。僕は、悪口は肯定するが(勇気を持って言う場合において)、陰口は認めない。国会に悪口派と陰口派があったなら、悪口派に一票入れたい。例えば僕とA氏がケンカをしたとする。互いに相手のことを悪く思うだろう。そんな時に第3者と話すと、僕はA氏の悪い部分を誇張表現してしまうだろう(おそらくA氏も同様)。つまり、相手がいないところで話す場合は、その部分を考慮しないとウソを言ってしまうことになる。だから、悪口を言う場合でも「相手が目の前にいても言える」条件だけは必要だ。その覚悟がない陰口は卑怯だと思うのだ。

 しかし、最近の僕は、こんな持論を立てながらも「陰口のたたき方」を着実にマスターしつつある。試験があっても合格しそうな勢いだ。そんな自分がみじめでたまらないと思うことがあるが、それこそ唯一の救いかもしれない。陰口によって、思いも寄らない不本意な状況に陥るのが、どんなに辛いか、僕は身をもって知っている。それなのに……。僕は、僕を蝕む陰口という病気と戦わねばならない。5つ目の卵を食べながら、そんなことを考えた。

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