初めて見る“元気な遺体”だった。今にも起き上がりそうな、ただ眠っているだけにしか見えない表情……。本家のタカヒコおじさんが亡くなった。心筋梗塞による突然死だという。これまで祖父や伯父の告別式に出たが、2人とも病気と戦い続けた苦しさが感じられるやつれ方をしていたが、アイスホッケーで鍛えた体型はそのままで、呼べば動くかのようだ。

 当家は、新年会で顔を合わせるのが慣例だ。正直なところ、僕はそれが好きではなかった。1年に1度しか会わないから、だれがどの血筋なのか覚えられない。ガキ同士で遊んではいたが、気の合わない人間の方が多いこともあり、中学・高校になると本格的に嫌になった。こっちは相手が誰だか知らないのに偉そうな婆さんも気に入らなかった(今になって思えば、僕の考え方が間違っているが)。

 その新年会では、タカヒコおじさんと僕の親父が酔っ払っては、いい年をしてくだらない会話をしていた。タカヒコおじさんの二男カツトシ君は、僕と同い年。カツトシ君は、それをいつも楽しみにしていた。その一方で、マヌケな姿を笑われている親父に僕は腹を立てていた。でも、カツトシ君は親父をバカにしていたのではなかった。タカヒコおじさんは銀行マンで忙しかったらしい。滅多に家でも顔を合わせなかったカツトシ君にとっては、自分の親父が楽しそうに飲んでいて、自分もその脇にいられることが嬉しかったのだと、いつか言っていた。

 タカヒコおじさんは、豪快で陽気で面白かった。新年会のムードメーカーが彼でなかったら、もっと早くに一族の集会は無くなっていただろう。それぞれが自分勝手に動く世の中で、僕が新年会を嫌がったように「金がかかるから」やら「だれそれの話が長いから」と、みんな勝手な理由で離れ気味だ。それでも、タカヒコおじさんの顔を思い出したら「行っておこうか」と思ったものだ。

 その顔のままだった。本当は、一人で苦しんでいろんなことを思って亡くなったのだろう。僕は、通夜が終わった後でタカヒコおじさんの顔を見せてもらった。「お世話になりました」と小声で言ったけど、聞こえたら起きてきそうだった。いつも楽しさをくれたおじさんに感謝したい。年に1度しか会わない上、その大切さを分かっていなかった僕が、おじさんの何を分かるものかと自分で思う。それでも、僕はおじさんの顔を一目見ておくべきだと思った。
 たまたまの休日に京都まで日帰りで行ったのは、そんな理由だった。かっこいい死に方なんて、きっとない。でも、おじさんの顔はかっこよかった。こんなことを言ってごめんなさい。でも、元気そうな遺体は、おじさんらしかった気がする。

 おじさんの顔を見つめる僕に、横から親父が言った。「親より先に死ぬなんて、順序が違う」――タカヒコおじさんの父親(僕らは「ゴッドファーザー」と呼んでいる)は、本家のおじいさん。今は病院で寝たきりだが、強い力で生き続けている。タカヒコおじさんの死を知らせるかどうか、親族は迷ったという。それを僕の親父が伝えたらしい。僕は親父が嫌いだが、親父のやることは誇らしかった。ゴッドファーザーは、実家へ一度戻り、タカヒコおじさんの顔を見たという。せめてそうあるべきだ。

 親父は僕に続けて言った。「お前は絶対に、オレより先に死んだらアカンからな」――人の死で多くを学ぶ。僕は僕にとって存在感のある親族3人の死を見てきた。いつまでも背の低い僕に一度も「大きくなったな」と言わなかった母方の祖父キンゾウじいさん。親戚の中で僕が一番好きだった、親父の兄リョウタロウ伯父さん。そして、本家で一番明るかったタカヒコおじさん。僕は生き残る。よって、多くの死を見るだろう。だれの死も無駄にせず、僕は行き続けよう。タカヒコおじさん、今までありがとう。

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