人生を賭ける、命を賭ける、すべてを賭ける――いろいろな言葉があるが、いずれも何かに“必死”になる時の表現だ。自分が死んでしまうなんてことは、あまり考えたくない。まだまだ生きるつもりだから。三代目魚武濱田茂夫の詩に、こんな言葉がある。「生きているうちから死んだ後のことを考える奴おるやろ、あれは行儀が悪い」。そのとおりだと思う。ただ、僕はやはり死んでしまう時のことを考えてしまう。

 たとえ死ぬなら、どう死にたいか。今を生きる意味を込めて「ガッツポーズで笑いながら死にたい」と思う。死んだ後に笑顔を作られるのでなく、笑いながら死にたい(漫画『ドラゴンボール』の孫悟空のように)。

 それと、もう一つ死について思うことがある。死体の処理方法だ。できれば、海か山にそのまま放り捨ててほしい。今まで、特に子どもの頃に無駄な殺生をたくさんしてきた。触覚を抜かれた蟻が苦しむ姿を楽しんだ。足を折られたアメンボが川で流れていく様を笑った。エアガンで至近距離から撃たれて体が腫れ上がったミミズを「これが本当のミミズ腫れ」と馬鹿にした。ザリガニを橋の上から川の中に投げつけた(おそらく死んでしまった)。数え上げればキリがない。

 おふくろは「責任を持って飼えないなら捕まえてくるな」と怒っていたが、当時はその言葉の意味を考えなかった。でも今は自分なりの考え方(勝手なマナーとでも表現しようか)がある。命を奪うなら命を奪われる覚悟を持たなければならない。僕はむやみに命を奪ってきた。だから、わずかながらに償いをしたい気持ちがある。でも、今、食われるわけにはいかない。たとえ悪行を自分の正義にするとしても。そんなわけで死んだ後は食えるうちに全部食ってしまってもらいたいのだ。

 ただ、言っておくけど、まだまだお預けだぜ。食いたい奴は頑張って生きてろよ〜。

<おまけ:ちなみに>
現状で全部残っても55キロ前後しかない。病気で痩せて死んだら食うトコねえかもなあ……。

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