男なら誰しも一度は話したことがあるだろう。「どんな女の子がタイプ?」。プラスの要素は挙げればキリがない。しかし、マイナスポイントというのもある。僕は「花をプレゼントされて喜べない女は嫌だ」と思っていたりする(実際にはタバコを吸う女は好きじゃないのに、好きになる女はタバコを吸っていたりするものだが)。

 僕は花について詳しくない。名前もよく知らない。なのに、なぜこんなテーマに設定したのか。僕の中で「花」というものが存在感を持っているのは、おふくろの影響に違いない。僕が生まれたちょうど30年前に千葉県で生まれたおふくろは、植物がとても好きだ。庭があるわけでもないのに小さな一軒家のわずかなスペースを花で埋めていく習性を持っている。僕の自転車はいつも肩身が狭かった(今、京都の実家にはアパート共有の駐輪場があるから過去形が正しいようだ)。そう、僕は花に囲まれて育ったはずなのだが、植物が別に好きでも何でもない。あのトラウマのせいなのだろうか。

 小学校の高学年。ちょうどパンクロックに突き動かされて(勘違いしたとも言う)、エラソーな感覚を持つようになった頃だ。担任の女教師(おばちゃん=オレは猪と呼んでいた)が植物好きだった。これまた教室が花瓶だらけになり、ミドリガメの水槽は肩身が狭かった。今では何か植物の免許だか資格だかを持っているらしいが、当時の僕にそんなことは関係なかった。授業前、花の名前を覚えるテストがあること(強制的に全員参加)が納得いかなかった。結局、テストで覚えて今でも覚えている名前は「シラン」だけだ(どんな花かは覚えていない)。この頃、僕は一人だけ授業をボイコットしたことなんかもあったりして、この先生が好きじゃなかった(今でも謝ってもらいたいことがたくさんある。いっぱい世話にもなったけど)。花はうっとうしかった。

 でも、その一方で花の魅力もどこかで感じていた。「花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていた」(SMAP/「世界に一つだけの花」)――当時、僕はおふくろの誕生日(つまり僕の誕生日)に花を買って帰った。一人で花屋に行って花を買うっていうのは、どこか気恥ずかしいトコもあったが、ブルーハーツの影響か、早くも「人にバカにされることを恐れない」というテーマを持っていた僕は、足踏みする自分を制して花屋で明るい色の花を買った(名前は覚えていない)。おふくろが何の花を好きか知らないけれど。この時、なぜかどこかで自己陶酔に陥った。花をプレゼントできるっていうのは、格好いいじゃないか、と(笑)。“いい子”からの脱却を目指した僕にとっては、花を持って歩いているトコを見られるなんて、恥ずかしくて仕方がなかったが、その視線に自分の感覚を勝たせることができたというわけだ。

 多分その頃からだろう、花をプレゼントされても喜ばないような女は嫌だなと思うようになった。(ちょっとしたマザコンか?)。ちなみに、買う時は“綺麗な”花ではなく“優しそう”だったり“健康そうな”(どんなんだ?)花を選ぶ。造花だったら手抜きだ(笑)、許しておくれ。

<おまけ:その後>
花好きのおふくろと、花好きな猪は友達になりましたとさ。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索