ジーコジャパンが勝ってよかった 【6月4日(土)】
2005年6月4日 目が覚めたのは、午後の5時。外ではにわかに雨が降り出した。もうすっかり梅雨の気候である。どうしてこのような時間まで眠っていたのかと言えば、深夜にサッカー日本代表の試合があったからにほかならない。この試合、2006年ドイツワールドカップ出場がかかる大事な一戦だったのだが、僕の中にはいつもと少し違う感情があった。
いつもは、ナショナリズムも含めてまるで「自分もチームの一員である」かのように応援していた。ところが、今回の試合は、チームとそしてジーコ監督のためにいい結果が出るように、と望む気持ちが強かった。それは、サッカーファンやマスコミが一戦毎に一喜一憂し、賞賛と批判を繰り返すことに嫌悪感を抱いたからかもしれない。少なくとも、僕はそこに加担していたはずなのにも関わらず……。
僕から見ると、ジーコジャパンは比較的スムーズに目的(ワールドカップ出場)に向かっている。アジア1次予選で格下の相手に苦戦し、親善試合で不甲斐ない戦いをしたために「ジーコ監督解任」を望む声すら囁かれる状況だが、その気持ちは共有し難い。そんなことを考えると、ジーコ監督は、日本代表チームは「報われていない」と思えた。懐疑的な眼差しではなく、彼らはもっとストレートに応援されて然るべきだと。
そんな葛藤が僕の意識を「僕たちの日本代表」から「頑張れ、日本代表」に変えていた。選手は、自分たちのために、そしてジーコのために頑張ってほしいと願いながら、テレビ画面に映るマナマからの国際映像を見ていた。結果は、日本でもっとも早くジーコイズムが浸透した鹿島アントラーズに所属する小笠原満男のミドルシュートで先制した日本が1−0で勝利。当面のライバルとの勝ち点差を広げて、3大会連続のワールドカップ出場に王手をかけた。
試合が終わった後の感情は、やはり「やった!」ではなく「よかった!」だった。歓喜の瞬間から半日ほど経った今、僕は、次の試合で彼らが2002年から目指してきたものが報われることを、早くも願っているのだった。
<おまけ:寡黙なエースは頼り甲斐抜群>
今ではあまり試合の分析を書くのは好きではなくなってしまったが、この試合では中田英寿の存在価値を強く感じた。スルーパスやシュートなど目立った攻撃は、かつての印象に比べれば薄いかもしれないが、センターでよく走り、攻守にわたって獅子奮迅の活躍をしていた。この選手を「不要」とは、なかなか思えない。
いつもは、ナショナリズムも含めてまるで「自分もチームの一員である」かのように応援していた。ところが、今回の試合は、チームとそしてジーコ監督のためにいい結果が出るように、と望む気持ちが強かった。それは、サッカーファンやマスコミが一戦毎に一喜一憂し、賞賛と批判を繰り返すことに嫌悪感を抱いたからかもしれない。少なくとも、僕はそこに加担していたはずなのにも関わらず……。
僕から見ると、ジーコジャパンは比較的スムーズに目的(ワールドカップ出場)に向かっている。アジア1次予選で格下の相手に苦戦し、親善試合で不甲斐ない戦いをしたために「ジーコ監督解任」を望む声すら囁かれる状況だが、その気持ちは共有し難い。そんなことを考えると、ジーコ監督は、日本代表チームは「報われていない」と思えた。懐疑的な眼差しではなく、彼らはもっとストレートに応援されて然るべきだと。
そんな葛藤が僕の意識を「僕たちの日本代表」から「頑張れ、日本代表」に変えていた。選手は、自分たちのために、そしてジーコのために頑張ってほしいと願いながら、テレビ画面に映るマナマからの国際映像を見ていた。結果は、日本でもっとも早くジーコイズムが浸透した鹿島アントラーズに所属する小笠原満男のミドルシュートで先制した日本が1−0で勝利。当面のライバルとの勝ち点差を広げて、3大会連続のワールドカップ出場に王手をかけた。
試合が終わった後の感情は、やはり「やった!」ではなく「よかった!」だった。歓喜の瞬間から半日ほど経った今、僕は、次の試合で彼らが2002年から目指してきたものが報われることを、早くも願っているのだった。
<おまけ:寡黙なエースは頼り甲斐抜群>
今ではあまり試合の分析を書くのは好きではなくなってしまったが、この試合では中田英寿の存在価値を強く感じた。スルーパスやシュートなど目立った攻撃は、かつての印象に比べれば薄いかもしれないが、センターでよく走り、攻守にわたって獅子奮迅の活躍をしていた。この選手を「不要」とは、なかなか思えない。
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