「お土産よろしく」は美しさに欠ける 【5月1日(月)】
2006年5月1日 今年も、縁のない黄金週間がやってきます。友人・知人はそれぞれ、いろいろなところへ旅行に出かけたりするそうです。僕は(休みではないから)どこへも行かないのですが、旅行の話が出ると、必ずと言っていいほど聞く「お土産よろしく」なるセリフについて、ちょっと文句をつけてみたい。
まず、お土産とは、頼まれて買うべきものではない。遠く離れた所にいても、思うところがある相手に「贈る」ものである。その思いを確保しようという魂胆が、美しさを削ぐ。もちろん、お土産を指定するなど、論外である。
また、お土産とは物を意味するという考えが横行しているが、お土産とは形の有無に囚われないものである。例えば、僕は「土産話」を楽しみにしている。あるいは、元気を失っていたものが旅によって元気を取り戻したのならば、その現象自体もお土産として成立する。
お土産はいわば、非日常的な楽しみの共有である。旅行者は、普段とは違う日々の中で刺激を受け、お土産はその刺激を他者へ伝える際の象徴である。つまり、どちらも非日常的であるのが、本来の姿である。お土産は、非日常的あるいは発作的な動機によって、生まれるものであるべきなのだ。「よろしく」なんてお断りである。
ゴールデンウィークを楽しむ皆さん、どうぞ楽しんできて下さい。
まず、お土産とは、頼まれて買うべきものではない。遠く離れた所にいても、思うところがある相手に「贈る」ものである。その思いを確保しようという魂胆が、美しさを削ぐ。もちろん、お土産を指定するなど、論外である。
また、お土産とは物を意味するという考えが横行しているが、お土産とは形の有無に囚われないものである。例えば、僕は「土産話」を楽しみにしている。あるいは、元気を失っていたものが旅によって元気を取り戻したのならば、その現象自体もお土産として成立する。
お土産はいわば、非日常的な楽しみの共有である。旅行者は、普段とは違う日々の中で刺激を受け、お土産はその刺激を他者へ伝える際の象徴である。つまり、どちらも非日常的であるのが、本来の姿である。お土産は、非日常的あるいは発作的な動機によって、生まれるものであるべきなのだ。「よろしく」なんてお断りである。
ゴールデンウィークを楽しむ皆さん、どうぞ楽しんできて下さい。
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