見たいのは力の量ではなく質である 【1月8日(月)】
2007年1月8日 レベルというのは、それほど大事なことだろうか。迫力が、技術が、戦術が、スピードが、足りなければならないでしょうか。超一流のそれらは確かに興味深いし、あるに越したことのない要素でしょう。しかし“勝負”の魅力に関して言えば、僕はそれほど重要なものとは思いません。
今日は高校サッカーの決勝戦を現地で観て来た。昨年に続いて2−1。ただ、昨年の決勝戦を見た人の中には「昨年はハイレベルだったけど、今年は低レベルの接戦」と見る人もいるようだ。しかし、僕は、だれが、どのチームがどれほど高レベルかなど、気にはならない。伸び盛りで変化があるとはいえ、持ち得る力は大会が始まる時点ですでに決まっている。僕が見たいのは、すでに分かってしまった力の中から、どんな道を選び進むのか、その姿だ。
ある人は試合後、「レベルが低過ぎるでしょう」と言った。だが、僕は胸を張って言える。いいゲームだった。
今日は高校サッカーの決勝戦を現地で観て来た。昨年に続いて2−1。ただ、昨年の決勝戦を見た人の中には「昨年はハイレベルだったけど、今年は低レベルの接戦」と見る人もいるようだ。しかし、僕は、だれが、どのチームがどれほど高レベルかなど、気にはならない。伸び盛りで変化があるとはいえ、持ち得る力は大会が始まる時点ですでに決まっている。僕が見たいのは、すでに分かってしまった力の中から、どんな道を選び進むのか、その姿だ。
ある人は試合後、「レベルが低過ぎるでしょう」と言った。だが、僕は胸を張って言える。いいゲームだった。
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