旧友 【3月3日(土)】
2007年3月3日 数十人が集まった店内で、僕を含む4人の男は「旧友」というカテゴリーに属するのだろう。主役は、小・中学校の同級生である稔。結婚式の二次会とでも言うべきパーティーの話だ。ここまで読むと「ずっと仲が良い友達同士」と思うかもしれないが、実はそうではない。現在の連絡先が分かったのも、ほんの1カ月ほど前のことなのだ。
その時が“数年ぶりの再会”ではあったのだが、なぜか驚きや新鮮さはない。というのも、なぜか数年に一度は会う機会があったからなのだ。中学の二年になる時、僕は東京から京都へと引っ越した。最初の再会は、僕が彼らの宿へと遊びに行った、中学三年の修学旅行の時だ。そこまでは特別に驚くこともなかったが、次の再会はちょっと劇的だった。
もう何年も前の受験シーズン、自分の偏差値とは縁のない有名私大ばかり受験し“日の丸特攻隊”と呼ばれた僕は、早稲田大学の受験会場にいた。大した緊張感もなく、受験科目が変わる合間に座席の近くをうろうろとしていた僕は、妙に見覚えのある男が、二つ後ろの席に座っていることに気付いた。10代後半の5年間は、互いの姿をそれなりに変え、記憶を曖昧にする。僕は、彼が稔であるとは確信ができなかった。が、「稔なら早稲田ぐらい受けていそうだな」とか「オレの勘は、あながち馬鹿にならん」と思い、受験票の名前をちらりと見やって、旧友の名前を確認してから声をかけた。受験番号が近すぎたため、僕は稔が合格したことを勝手に知り、稔は僕が落ちたことを知った。
はて、その後が何のきっかけで会ったのか思い出せない。だが、間違いなく大学時代にも遊んだ覚えがある。旧友の一人であり、稔の親友である江口が一浪で僕と同じ大学に入ったことも(当然、僕も一浪)、何か関係があったように思うが思い出せない。しかし、学生時代にきっと何度か遊んだ仲なのだ。そんなわけで、しばらくぶりに会うことがなんだか普通になってしまっている間柄。でも、僕には心地良いものであったりもする(しょっちゅうは会いたくない、という意味ではありませぬ)。多くの場合、久しぶりに会うと妙によそよそしかったりするのだが、稔やこの日同席した仲間は、いつ会っても「よう、久しぶり」で違和感がない(僕だけがそうなのではない、と思っているのだが……)。そのことが、僕にとっては嬉しいのだ。
少し前に再会していなければ、この日、パーティーに参加をしていて、見知らぬ女の子(稔の大学時代の友人?)とゲームに参加し、ディズニーランドのワンデーパスを手にしたりすることもなかっただろう。だけど、意外なほどに不自然さはないのだ。幸せそう(でバカそう)な顔の稔に幸あれと、飾ることなくいたって普通に思える。旧友より、適度な温かさをもって「おめでとう」を送りたい。
その時が“数年ぶりの再会”ではあったのだが、なぜか驚きや新鮮さはない。というのも、なぜか数年に一度は会う機会があったからなのだ。中学の二年になる時、僕は東京から京都へと引っ越した。最初の再会は、僕が彼らの宿へと遊びに行った、中学三年の修学旅行の時だ。そこまでは特別に驚くこともなかったが、次の再会はちょっと劇的だった。
もう何年も前の受験シーズン、自分の偏差値とは縁のない有名私大ばかり受験し“日の丸特攻隊”と呼ばれた僕は、早稲田大学の受験会場にいた。大した緊張感もなく、受験科目が変わる合間に座席の近くをうろうろとしていた僕は、妙に見覚えのある男が、二つ後ろの席に座っていることに気付いた。10代後半の5年間は、互いの姿をそれなりに変え、記憶を曖昧にする。僕は、彼が稔であるとは確信ができなかった。が、「稔なら早稲田ぐらい受けていそうだな」とか「オレの勘は、あながち馬鹿にならん」と思い、受験票の名前をちらりと見やって、旧友の名前を確認してから声をかけた。受験番号が近すぎたため、僕は稔が合格したことを勝手に知り、稔は僕が落ちたことを知った。
はて、その後が何のきっかけで会ったのか思い出せない。だが、間違いなく大学時代にも遊んだ覚えがある。旧友の一人であり、稔の親友である江口が一浪で僕と同じ大学に入ったことも(当然、僕も一浪)、何か関係があったように思うが思い出せない。しかし、学生時代にきっと何度か遊んだ仲なのだ。そんなわけで、しばらくぶりに会うことがなんだか普通になってしまっている間柄。でも、僕には心地良いものであったりもする(しょっちゅうは会いたくない、という意味ではありませぬ)。多くの場合、久しぶりに会うと妙によそよそしかったりするのだが、稔やこの日同席した仲間は、いつ会っても「よう、久しぶり」で違和感がない(僕だけがそうなのではない、と思っているのだが……)。そのことが、僕にとっては嬉しいのだ。
少し前に再会していなければ、この日、パーティーに参加をしていて、見知らぬ女の子(稔の大学時代の友人?)とゲームに参加し、ディズニーランドのワンデーパスを手にしたりすることもなかっただろう。だけど、意外なほどに不自然さはないのだ。幸せそう(でバカそう)な顔の稔に幸あれと、飾ることなくいたって普通に思える。旧友より、適度な温かさをもって「おめでとう」を送りたい。
コメント