絶叫マシーンに限らない 【5月5日(土)】
2007年5月5日 人生は時としてビビった者勝ちである。「絶叫マシーンは苦手」などと言えば、男子ならほぼ確実に“ビビリ”の烙印を押されることだろう。それでも死なずに済むのなら良いのではないか。しかし、周囲の雰囲気に流されてしまうことは、僕にもよくある。中学校を卒業しようとしていた頃、大阪にあるテーマパーク「エキスポランド」へ出かけ、風神・雷神2に乗った。男が3人、女が2人の組み合わせでだれもが乗り気となれば、断る理由が見出せないというものだ。“立ったまま乗るジェットコースター”に体の自由を奪われた小柄な少年は、足がマシンからはみ出ないようにすることで必死だった。怖いと感じたかどうかなど言うまでもない。本当に「間違えたら死ぬ」と思ったほどだ。
“ビビリ”でない人たちは「大丈夫なように作られているんだから。安全だって」と口々に言う。だが、僕にはその根拠がまったく見えない。人間は動物だ。着地できない高さを“ビビリ”で判断することができる。「この高さなら飛び降りても大丈夫」、「着地に気をつけないと危なさそうだな」、「この高さから落ちたらケガは免れないだろう」、「この高さから飛び降りたら死んでしまう」と、距離を測らずとも視覚で判断できる。その動物がジェットコースターを見て「安全だ」と思うならば、それは危機回避能力が麻痺していると考えるのが普通ではないのだろうか。「危ないに決まっている」ではないか。運営者が言わないだけで、どう考えても「何かあったら死にます」が正解だろう。
事故が起きてしまった後だから、ここまでは頷く人も多いかもしれない。ただ、僕に言わせるならば、それは飛行機やエレベーターにもおいても同じことなのだ。どちらも「落ちないように作られている」。だが、ひとたびマニュアルから外れれば、そこには死があるだろう。より日常的な電車でさえ、スピードを出し過ぎて建物に突っ込む大事故が起きてしまったことは、まだ記憶に新しい。エレベーターが怖いなどと言えば、それこそ“ビビリ”どころの扱いではなく、失笑の的となる。しかし、それでも動物としての判断こそ正しいと思えてならない。人生は時としてビビった者勝ちである。
“ビビリ”でない人たちは「大丈夫なように作られているんだから。安全だって」と口々に言う。だが、僕にはその根拠がまったく見えない。人間は動物だ。着地できない高さを“ビビリ”で判断することができる。「この高さなら飛び降りても大丈夫」、「着地に気をつけないと危なさそうだな」、「この高さから落ちたらケガは免れないだろう」、「この高さから飛び降りたら死んでしまう」と、距離を測らずとも視覚で判断できる。その動物がジェットコースターを見て「安全だ」と思うならば、それは危機回避能力が麻痺していると考えるのが普通ではないのだろうか。「危ないに決まっている」ではないか。運営者が言わないだけで、どう考えても「何かあったら死にます」が正解だろう。
事故が起きてしまった後だから、ここまでは頷く人も多いかもしれない。ただ、僕に言わせるならば、それは飛行機やエレベーターにもおいても同じことなのだ。どちらも「落ちないように作られている」。だが、ひとたびマニュアルから外れれば、そこには死があるだろう。より日常的な電車でさえ、スピードを出し過ぎて建物に突っ込む大事故が起きてしまったことは、まだ記憶に新しい。エレベーターが怖いなどと言えば、それこそ“ビビリ”どころの扱いではなく、失笑の的となる。しかし、それでも動物としての判断こそ正しいと思えてならない。人生は時としてビビった者勝ちである。
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