あなたの「支持率」を調査します。そう言われたら、あなたは100%にできるだけ近い数字を希望するのであろうか。おそらくそうだろう。

 そもそも「支持率」とは何だろうか。ある物事や人物に対しての評価などというのは、統計を取る前の話に過ぎない。実際の「支持率」という言葉が示すものは多くの場合、権力を恨めしく思う者、権力を奪いたい者、権力に怯える者からの「支持率が低い=あなたは遠慮をしないと孤立、孤独になりますよ」というけん制のメッセージなのだと思う。

 まあ、たまには人気者もいて、高い支持率が出ることもあるだろうが、それはそれで構わない。気になるのは、支持率が低い場合だ。多くの人間は無条件に孤独を嫌う。だから、支持率が明るみに出れば、多数派に回る者が増えるに違いない。○○総理大臣の支持率は5%とでも聞けば、自分も支持しませんという態度へ向く。不人気者の巻き添えを食いたくはないのだ。

 ただ、僕は思う。「支持率が低いにも関わらず、現状として統率を任されている。少数派とは言えども誰かが支持している。それは、支持率が高いということよりも、はるかに立派なことではないのだろうか」と。権力の強引な行使は誉められたものではないが、低い支持率の中でも何かが誰かに通じている、伝わっているということは、そこに何かしらの真実のパワーがあるはずではないか。

 もう一度考える。「支持率」とは何か。それは僕やあなたに対する多数派への勧誘である。多数派に回ればおそらく、あなたは冒頭のメッセージを受けずに済むだろう。だが、もしもあなたが支持率を盾にするならば、あなたは支持率を問われてみるべきだと僕は思う。決して、時の総理大臣を擁護したいわけではない。シンパシーがあるわけでもない。ただ、「支持率」という言葉は、僕が嫌う性格を持ったものだということを言いたいのだ。

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