違和感 【9月13日(木)】
2007年9月13日 深夜、ラグビーのワールドカップをテレビで見た。先日、スポーツとはテレビ番組を指すものではないと日記に書いたけれど、さすがにフランスまで出かけるナントカはないと、言い訳をしながら。
試合はフィジーに4点差で負け。最後、キックで得点を稼ぐペナルティゴール(3点)では追いつけないので、日本はロスタイムにトライ(5点)を目指して猛攻。しかし、届かなかった。
テレビだから、実際の迫力や切迫感は分からない。だから、スタンドで見ていれば違う感想なのかもしれない。ただ、それにしても、僕は「逆転トライが生まれるかもしれない!」とは思えなかった。おそらく、力量は日本がやや下。その力関係で「やばくなってからトライを狙う」のは、通用すると思えなかった。
ここまで書いてから白状するが、正直に言って、僕はラグビーに詳しくないし、ルールもロクに分かっていない。そんな僕ではあるが、前半のスクラムは意外にも分が良く(相手に一時退場者がいる時間帯もあったし)、押せば行けるかもしれないという良い手応えを感じていた。それでも日本は前半、キックで一時のリードを奪いに行った(この見解が間違っていたら教えてほしい)。その時点で、僕は日本に「賢いけれども怖さのないチーム」という印象を持った。
僕の「勝負」における持論だが、(相手に与える)“怖さ”のない弱者はまず勝てない。負けているチームが最後に猛攻を仕掛けるのは、いたって当たり前のことで、それはもう怖さではない。だから、最後のアタックに僕はそれほど期待を持てなかった。
長くなってしまったが、タイトルで「違和感」としたのは、この日本の戦いぶりが観客を熱狂させたからこそ、スタンドからは“ジャポン”コールが沸き起こったのだとする実況者の言葉に理由がある。それは本当に日本が与えた感動なのだろうか。僕は、スタンドの人たちがスポーツの楽しみ上手であっただけに違いないと勘繰ってしまうのだ。「よく頑張りましたね」という、温かくはありながらも単に激励の意味ではないのかと。
だから、僕は彼のジャポンコールの描写が、どうしても納得できず、違和感を覚えずにいられなかった。言うならば、それは、テレビ観戦後に築地ですすった味噌汁が海鮮物のダシではなかったのと同じぐらいに……。
試合はフィジーに4点差で負け。最後、キックで得点を稼ぐペナルティゴール(3点)では追いつけないので、日本はロスタイムにトライ(5点)を目指して猛攻。しかし、届かなかった。
テレビだから、実際の迫力や切迫感は分からない。だから、スタンドで見ていれば違う感想なのかもしれない。ただ、それにしても、僕は「逆転トライが生まれるかもしれない!」とは思えなかった。おそらく、力量は日本がやや下。その力関係で「やばくなってからトライを狙う」のは、通用すると思えなかった。
ここまで書いてから白状するが、正直に言って、僕はラグビーに詳しくないし、ルールもロクに分かっていない。そんな僕ではあるが、前半のスクラムは意外にも分が良く(相手に一時退場者がいる時間帯もあったし)、押せば行けるかもしれないという良い手応えを感じていた。それでも日本は前半、キックで一時のリードを奪いに行った(この見解が間違っていたら教えてほしい)。その時点で、僕は日本に「賢いけれども怖さのないチーム」という印象を持った。
僕の「勝負」における持論だが、(相手に与える)“怖さ”のない弱者はまず勝てない。負けているチームが最後に猛攻を仕掛けるのは、いたって当たり前のことで、それはもう怖さではない。だから、最後のアタックに僕はそれほど期待を持てなかった。
長くなってしまったが、タイトルで「違和感」としたのは、この日本の戦いぶりが観客を熱狂させたからこそ、スタンドからは“ジャポン”コールが沸き起こったのだとする実況者の言葉に理由がある。それは本当に日本が与えた感動なのだろうか。僕は、スタンドの人たちがスポーツの楽しみ上手であっただけに違いないと勘繰ってしまうのだ。「よく頑張りましたね」という、温かくはありながらも単に激励の意味ではないのかと。
だから、僕は彼のジャポンコールの描写が、どうしても納得できず、違和感を覚えずにいられなかった。言うならば、それは、テレビ観戦後に築地ですすった味噌汁が海鮮物のダシではなかったのと同じぐらいに……。
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