ごはんですよ 【9月27日(木)】
2007年9月27日コメント (1) 理由は覚えていないが、落ち込んでいた。きっと、数年前の記憶だ。その時、友人は電話越しにこう言った。
「どんな時でも、ご飯は楽しく食べなアカンで」
以後、僕はこの言葉を大切にしている。
「空腹時に食べる」、「おいしいものを食べる」、「楽しい場所(店・風景)で食べる」、「人と一緒に食べる」
“楽しく食べる”ことは、この4つの要素のいずれかがあれば成り立つと思っている。もちろん、すべてが揃えば最高だ。
反対に、「おいしくないものを人と一緒に食べる」といった複雑な状況も起こり得るが、
それでも、どれか一つの条件があれば、「おいしくなかったけど、楽しかった、面白かった、嬉しかった」という気持ちになれるだろう。
大人になっていくほど強く思う。ご飯はとても大事な時間だと。
また、ご飯にはいろいろとマナーがある。
子どもがよく大人に注意される類のものから、子どもよりも大人の方がやっかいなものまで色々と。
どのマナーこそ守るべきだ、という感覚は千差万別だろうけれど、僕にもいくつか「守りたいマナー」がある。
そして、そのマナーが共有された時もまた、ご飯を楽しく感じることができる。
「ジャルモゴッスムニダ」――韓国へ行く時、この言葉を覚えたのもそのためだ。
日本語には「ごちそうさま」と訳す。楽しいご飯のあと、僕はこの言葉を言うことにしている。
「いただきます」も欠かせないのだが、こちらは時々、言い忘れてがっついてしまうことがある。
ほかには、ご飯粒に限らず「残さずに全部食べる」というものもあるが、
最近では「ごめんなさい」があれば、無理にこだわらなくても良いと思うようになった。
お腹がいっぱいの状態では、もはやどんなものもおいしくない。おいしいはずがない。
それならば、ご飯を残すことよりも、おいしくないと思いながら食べることの方が失礼ではないかと考えたからだ。
(素材を用意してくれた人、料理をしてくれた人、一緒に食べてくれる人のすべてに対して)
もう一つ、ご飯の話をしよう。これはマナーと言わずに、僕の好みとして話す。
「好き・嫌い」というのは、あまり好ましくない。アレルギーなどがある場合は、致し方ないだろうけれど。
創作料理の店へ行った時、店の主人が「ハモは大丈夫ですか」と隣の客に聞いた。
すると、「ハモはダメです。ウナギとか、ああいうのは苦手で。あ、あと、○○も△△もダメなので、抜いてください」と言い始めた。
正直なところ、僕は心の中で「今すぐ帰れ」と思った(僕のお店ではないので言いはしないけれど)。
「好き・嫌い」は、料理をする人をがっかりさせてしまうものだから、できるだけ避けたいし、避けてほしいと思う。
(料理人は「それならば」と工夫を凝らしてくれるかもしれないが、世の“作り手”には可能な限り自由を与えてもらいたいと考える)
幸いなことに、我が家の食事は「好き・嫌い」を撲滅する性格を持っており、
子どもの頃に、嫌いなものをありとあらゆる手法で食べさせられることとなったため、僕はほとんど「好き・嫌い」がない。
嫌いなものを食べさせる時の親父は楽しそうで、我が家によく遊びに来た従兄弟も同じ洗礼を受けて克服した……。
ごはんはおそらく、万人共通の趣味だ(飽食の国だから言えることだけれど)。
どんな男も女も、どんな大人も子どもも、楽しいごはんの時には、とてもいい顔をする。
だから今日も、ご飯を楽しく食べたい。
「どんな時でも、ご飯は楽しく食べなアカンで」
以後、僕はこの言葉を大切にしている。
「空腹時に食べる」、「おいしいものを食べる」、「楽しい場所(店・風景)で食べる」、「人と一緒に食べる」
“楽しく食べる”ことは、この4つの要素のいずれかがあれば成り立つと思っている。もちろん、すべてが揃えば最高だ。
反対に、「おいしくないものを人と一緒に食べる」といった複雑な状況も起こり得るが、
それでも、どれか一つの条件があれば、「おいしくなかったけど、楽しかった、面白かった、嬉しかった」という気持ちになれるだろう。
大人になっていくほど強く思う。ご飯はとても大事な時間だと。
また、ご飯にはいろいろとマナーがある。
子どもがよく大人に注意される類のものから、子どもよりも大人の方がやっかいなものまで色々と。
どのマナーこそ守るべきだ、という感覚は千差万別だろうけれど、僕にもいくつか「守りたいマナー」がある。
そして、そのマナーが共有された時もまた、ご飯を楽しく感じることができる。
「ジャルモゴッスムニダ」――韓国へ行く時、この言葉を覚えたのもそのためだ。
日本語には「ごちそうさま」と訳す。楽しいご飯のあと、僕はこの言葉を言うことにしている。
「いただきます」も欠かせないのだが、こちらは時々、言い忘れてがっついてしまうことがある。
ほかには、ご飯粒に限らず「残さずに全部食べる」というものもあるが、
最近では「ごめんなさい」があれば、無理にこだわらなくても良いと思うようになった。
お腹がいっぱいの状態では、もはやどんなものもおいしくない。おいしいはずがない。
それならば、ご飯を残すことよりも、おいしくないと思いながら食べることの方が失礼ではないかと考えたからだ。
(素材を用意してくれた人、料理をしてくれた人、一緒に食べてくれる人のすべてに対して)
もう一つ、ご飯の話をしよう。これはマナーと言わずに、僕の好みとして話す。
「好き・嫌い」というのは、あまり好ましくない。アレルギーなどがある場合は、致し方ないだろうけれど。
創作料理の店へ行った時、店の主人が「ハモは大丈夫ですか」と隣の客に聞いた。
すると、「ハモはダメです。ウナギとか、ああいうのは苦手で。あ、あと、○○も△△もダメなので、抜いてください」と言い始めた。
正直なところ、僕は心の中で「今すぐ帰れ」と思った(僕のお店ではないので言いはしないけれど)。
「好き・嫌い」は、料理をする人をがっかりさせてしまうものだから、できるだけ避けたいし、避けてほしいと思う。
(料理人は「それならば」と工夫を凝らしてくれるかもしれないが、世の“作り手”には可能な限り自由を与えてもらいたいと考える)
幸いなことに、我が家の食事は「好き・嫌い」を撲滅する性格を持っており、
子どもの頃に、嫌いなものをありとあらゆる手法で食べさせられることとなったため、僕はほとんど「好き・嫌い」がない。
嫌いなものを食べさせる時の親父は楽しそうで、我が家によく遊びに来た従兄弟も同じ洗礼を受けて克服した……。
ごはんはおそらく、万人共通の趣味だ(飽食の国だから言えることだけれど)。
どんな男も女も、どんな大人も子どもも、楽しいごはんの時には、とてもいい顔をする。
だから今日も、ご飯を楽しく食べたい。
コメント
とろろいもが腹痛を起こすため食べることができない以外は
出されたものは手をつけています。上げた4つの要素が揃えば最高の食事ですよね。