燃料不足 【10月27日(木)】
2005年10月27日 詩人の三代目魚武濱田成夫は「オレはアイスコーヒーで動いとる」と書いていた。僕はジンジャーエールで動いている。なのに、新オフィスの自動販売機には、僕の燃料が置かれていない。おかしな話である。
盗撮可能型男子トイレ? 【10月26日(水)】
2005年10月26日 なんなんだ、このつくりは……。新オフィスのトイレで驚いた。昼間は気付かなかったのだが、夜になると外壁に違和感を覚える。透明ガラス……。夜中、辺りは暗くなるが、ビルはところどころ照明が灯っており、近くのビルの同じ階なら、ガラスの向こう側の動きが見える。それがそのまま男子トイレにも当てはまるつくりなのだ。まあ、別に困ることはないけれど、作る人はどう考えて作ったのだろうか……。
新旧オフィスを往復 【10月25日(火)】
2005年10月25日 この週末に会社の引越しがあり、オフィスが六本木から汐留へと移った。少し長くなった通勤は、借りた小説を読む時間に充てることにした。六本木は外国人が多い印象だったが、汐留は圧倒的にスーツ姿が多い。ジーンズの僕はちょっと浮いていたが、気にしない。
新しいデスクに着くと、搬入されたパソコンが置かれていた。まずは作業環境を確保すべく、パソコンを組み立てていく……ディスプレーの電源コードがない……。仕方なく、ノートパソコンで午前中の仕事を終え、昼食時間に都営大江戸線で六本木へ。きれいさっぱり何も残されていないデスクには、もう電源コードの姿はなかった……。昼食も汐留初ランチは断念。六本木の「らーめん鐵釜」で済ませてシオシオと戻るばかりだった。
街から街へと行ったり来たり
だけどもうここには帰ってこない
(「新型セドリック」/THE ROOSTERS)
新しいデスクに着くと、搬入されたパソコンが置かれていた。まずは作業環境を確保すべく、パソコンを組み立てていく……ディスプレーの電源コードがない……。仕方なく、ノートパソコンで午前中の仕事を終え、昼食時間に都営大江戸線で六本木へ。きれいさっぱり何も残されていないデスクには、もう電源コードの姿はなかった……。昼食も汐留初ランチは断念。六本木の「らーめん鐵釜」で済ませてシオシオと戻るばかりだった。
街から街へと行ったり来たり
だけどもうここには帰ってこない
(「新型セドリック」/THE ROOSTERS)
物持ちの良い26歳の日記 【10月24日(月)】
2005年10月24日 3連休最後の日は、下北沢で買い物だ。以前から欲しいと思っていた長袖Tシャツを「UK HOLLYWOODS」で購入した。女の子を描いたデザインの服を身に着けたことがなく、それに挑戦してみることが今回のテーマ。買う物があらかじめ決まった状態で入店したのだが、目当てのものの隣にもナイスデザインの長袖Tシャツを発見。ちょっとためらったが2着とも買うことにした。これを機に古めのものはちょっと整理してしまおう。物持ちが良いのはいいことだが、相当古いもの(高校時代から持っている服も結構多い26歳……)も持っていたりするので。
ところで、僕はファッションに関して「今年の流行は……」という感覚がいまだに理解できないでいる。僕の解釈としては、カッコイイものは常々カッコイイものである。カッコ悪いものは、カッコイイとみんなが言ったとしても、僕にとってはカッコ悪いものである。物持ちが良いのは、単に貧乏性なだけかもしれないのだが、流行に影響を受けないからなのかもしれない。
そんな、自分を納得させる文章で今日の日記はおしまいである。
ところで、僕はファッションに関して「今年の流行は……」という感覚がいまだに理解できないでいる。僕の解釈としては、カッコイイものは常々カッコイイものである。カッコ悪いものは、カッコイイとみんなが言ったとしても、僕にとってはカッコ悪いものである。物持ちが良いのは、単に貧乏性なだけかもしれないのだが、流行に影響を受けないからなのかもしれない。
そんな、自分を納得させる文章で今日の日記はおしまいである。
衝撃 【10月23日(日)】
2005年10月23日 小田急線の登戸駅からJR南武線に乗って北上する。行き慣れた、しかし久々の道のりだ。府中本町の駅で下車し、駅から長い通路を進む。iPODならぬ携帯ラジオを持つ者や、カタカナと数字でできた表を熱心に見る者たちが、赤ペン先生になっていく通路である。ここを通るのは、どれぐらい久しいことなのか。もう覚えていない。とにかくスタンド改修工事の前だったことは確かだ。本来、府中の東京競馬場で行われる天皇賞・秋が船橋の中山競馬場で行われたのは、2002年。そうか、働き始めて以来、一度も来ていなかったのか。
プロ野球日本シリーズの第2戦がどのような結果であろうと、明日の一面には武豊のコメントが載っているはずだ。そして、それよりも大きく、無敗クラシック3冠ホースの名が踊るだろう。競走馬の名前は「ディープインパクト」。名は体を表すとは、このことだ。
3冠最後のレース「菊花賞」は、淀の京都競馬場で行われる。15時40分、府中競馬場の赤ペン先生たちは、もはや目の前のメインレースさえ上の空だった。大画面に、あるいは馬券売り場に設置された小さなモニタに注目する。これまでのレースとは違い、スタンド前を2度通るコースとなるため、ディープインパクトは1周目で気持ちを逸らせた。最後の直線で一気に相手を抜き去るタイプのディープインパクトにとって、それが決定的なスタミナロスになりかねないことは、競馬ファンならだれでも知っていることだ。僕がかつて来た時よりも広く大きくなったスタンドが、まるで目の前でレースが行われているかのようにどよめいた。
横山典弘騎乗のアドマイヤジャパンがあわやの逃走劇を見せる中、「まずい、届かないのではないか」という思いをかき消すように、観衆はヒーローの名を叫び続けた。いつものキレはない。それでも1完歩ずつ伝説を刻んで行く。モニタに釘付けとなる光景は、おそらくすべての競馬場、場外馬券場で同じだっただろう。間もなく、ディープインパクトはアドマイヤジャパンを捉えて先頭へ。栄光のゴールを駆け抜け、“皇帝”シンボリルドルフ以来21年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
無敗3冠達成という衝撃。しかし、僕の中では以前よりも響かなかった。だがおそらく、反応が少し鈍いだけのことだろう。また緩やかに競馬の世界へ足を運びたくなっていく自分がいた。
プロ野球日本シリーズの第2戦がどのような結果であろうと、明日の一面には武豊のコメントが載っているはずだ。そして、それよりも大きく、無敗クラシック3冠ホースの名が踊るだろう。競走馬の名前は「ディープインパクト」。名は体を表すとは、このことだ。
3冠最後のレース「菊花賞」は、淀の京都競馬場で行われる。15時40分、府中競馬場の赤ペン先生たちは、もはや目の前のメインレースさえ上の空だった。大画面に、あるいは馬券売り場に設置された小さなモニタに注目する。これまでのレースとは違い、スタンド前を2度通るコースとなるため、ディープインパクトは1周目で気持ちを逸らせた。最後の直線で一気に相手を抜き去るタイプのディープインパクトにとって、それが決定的なスタミナロスになりかねないことは、競馬ファンならだれでも知っていることだ。僕がかつて来た時よりも広く大きくなったスタンドが、まるで目の前でレースが行われているかのようにどよめいた。
横山典弘騎乗のアドマイヤジャパンがあわやの逃走劇を見せる中、「まずい、届かないのではないか」という思いをかき消すように、観衆はヒーローの名を叫び続けた。いつものキレはない。それでも1完歩ずつ伝説を刻んで行く。モニタに釘付けとなる光景は、おそらくすべての競馬場、場外馬券場で同じだっただろう。間もなく、ディープインパクトはアドマイヤジャパンを捉えて先頭へ。栄光のゴールを駆け抜け、“皇帝”シンボリルドルフ以来21年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
無敗3冠達成という衝撃。しかし、僕の中では以前よりも響かなかった。だがおそらく、反応が少し鈍いだけのことだろう。また緩やかに競馬の世界へ足を運びたくなっていく自分がいた。
あくまで一休み 【10月22日(土)】
2005年10月22日 渋谷の居酒屋で、サモハン・キンポーに似た友人が言った。
「ダイアリーノート、止めたんでしょ?」
「慌てない、慌てない」(by 一休さん)
「ダイアリーノート、止めたんでしょ?」
「慌てない、慌てない」(by 一休さん)
塗るも地獄、塗らぬも地獄 【10月21日(金)】
2005年10月21日 世の中に「変温動物」なるものが存在すると知った時、最初の感想は「すごい」ではなく「いいな」だった。僕は大の寒がりで、冬はとても嫌いである。まず、手がかじかむのが嫌。何かにぶつかった時にいつも以上に痛いのも嫌。体温維持に気を取られて楽しく話せないのが嫌。セーターのチクチクする感じが嫌。マフラーで首が窮屈になるのも嫌。そして、近年最も嫌なのが、唇が切れることである。
中学生の頃だったか、母親が見かねてリップクリームを塗ってくれた。が、なんだかネチョネチョしてて気持ちが悪く、ティッシュか何かで拭いてしまった。しかし、放っておくとみっともないぐらいに皮が切れ、時には知らぬうちに血が出ていたりする。でも、リップクリームは嫌いだ。今でも塗るのは、かなり嫌である。できることなら塗らずに済ませたい。しかし、唇はただ切れるばかりなのだ。冬は嫌だ。
中学生の頃だったか、母親が見かねてリップクリームを塗ってくれた。が、なんだかネチョネチョしてて気持ちが悪く、ティッシュか何かで拭いてしまった。しかし、放っておくとみっともないぐらいに皮が切れ、時には知らぬうちに血が出ていたりする。でも、リップクリームは嫌いだ。今でも塗るのは、かなり嫌である。できることなら塗らずに済ませたい。しかし、唇はただ切れるばかりなのだ。冬は嫌だ。
ハツする、ハツする? 【10月16日(日)】
2005年10月16日 今日は焼肉屋「牛鉄」に行って来た。例のごとくジンジャーエールを飲みながら、色々と焼いては食べたのだが、牛のハツもなかなか美味いものである。もともとレバーなどの内臓系は、食べた後に言い様のないスタミナというか活力が湧いてくるのが好きなのだが、ハツの場合はそういった部分よりも食感がいい。なかなか噛み切れないホルモン類よりも通常の肉に近い感触で食べやすく、食べた後ももたれない。また、さっぱりとした塩味は、ロースやカルビのような味の濃厚なものに飽きた時には、ちょうどいい。焼き鳥でもハツは好物なのだが、本当に弾力のある歯ごたえが程よくて好きである。皆さんも焼肉や焼き鳥を食べに行った時には、ぜひともハツを。「ハツする、ハツする!」?
だらだらと綴る 【10月15日(土)】
2005年10月15日パ・リーグのプレーオフはソフトバンク(いまだに“ダイエー”と言ってしまう……)が勝ったようで、秋華賞はエアメサイアとラインクラフトの鉄板ワンツーに終わったようだ。どちらも見ていないのだが、ちょいと感想を。パ・プレーオフの制度は、リーグ戦の面白さが薄れるので正直なところ好きじゃないと思っていたのだが、トップチーム同士の一騎打ちが濃厚に味わえるという点では、かなり面白い気もしてきた。点差も拮抗していて、なかなか盛り上がっているようだ。競馬の方は、思ったとおり堅い展開だった。来週の菊花賞には“皇帝”シンボリルドルフ以来の無敗三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)達成に王手をかけたディープインパクトが出走する。もはや馬券の妙味などより、どんな走りを見せるかの方が楽しみである。
“一発屋”についての解釈 【10月14日(金)】
2005年10月14日 エンターテインメントの業界では、世の中で一時的に注目を浴びた人を“一発屋”と呼ぶ。最近では歌手や芸人がよくその対象となる。どうにも“一発屋”という言葉には寂しさを感じる。「一発で終わっちゃったね、可愛そうに」という雰囲気をまとっていることが気に入らない。
例えば、つぶやきシローだったり、波田陽区であったり。言い方は悪いが、面白いと言っても、そもそも1つのギャグでは、たかが知れていると思う。それはブレイクした前後で特に変わっているものでもない。ところが、一部の火付け師(多くの場合はテレビ局)が面白いと触れ回ったために異様な注目を浴び、突然過大な期待を受けて舞台に立つことになる。そして1年ほど経つと「面白い気になっていたけど、それほどでもないな」などと飽きてしまい、いつの間にか“一発屋”のレッテルを貼られてしまう。
僕が思うに、一発屋というのはおおよそ、無理なまでに「面白いよね」と言って持ち上げられたものであって、対象者(ブレイクした人)が何か特別なことをしたものではない。だから、勝手に祭り上げた人たちから「可愛そう」というような思いで見られるのは、おかしな話だ。
自分たちの暇つぶしのために、一人の芸人を消耗する。その行為が許されたことを、むしろ大衆は感謝すべきである。「あれは“一発屋”だったよね〜」とバカにした風に言うが、「それで楽しませてもらったんだろ?」と言いたい。たった一発(っていっても1年もだぞ)でも世間を巻き込む力は、大いにすごいと思う。
例えば、つぶやきシローだったり、波田陽区であったり。言い方は悪いが、面白いと言っても、そもそも1つのギャグでは、たかが知れていると思う。それはブレイクした前後で特に変わっているものでもない。ところが、一部の火付け師(多くの場合はテレビ局)が面白いと触れ回ったために異様な注目を浴び、突然過大な期待を受けて舞台に立つことになる。そして1年ほど経つと「面白い気になっていたけど、それほどでもないな」などと飽きてしまい、いつの間にか“一発屋”のレッテルを貼られてしまう。
僕が思うに、一発屋というのはおおよそ、無理なまでに「面白いよね」と言って持ち上げられたものであって、対象者(ブレイクした人)が何か特別なことをしたものではない。だから、勝手に祭り上げた人たちから「可愛そう」というような思いで見られるのは、おかしな話だ。
自分たちの暇つぶしのために、一人の芸人を消耗する。その行為が許されたことを、むしろ大衆は感謝すべきである。「あれは“一発屋”だったよね〜」とバカにした風に言うが、「それで楽しませてもらったんだろ?」と言いたい。たった一発(っていっても1年もだぞ)でも世間を巻き込む力は、大いにすごいと思う。
「できないから、言う」 【10月9日(日)】
2005年10月9日 生意気な僕はよく「自分ができるわけじゃないのに偉そうに言うな」という言葉を浴びせられる。最近では少なくなったが、ただ発声が視線に変わっただけのことだ。
きっと初めてそんなことを言われた時の記憶。「その考えは、もっともらしく聞こえるけど何か納得がいかない」という思い。悔し紛れではなく、言い訳ではなく、そう思った。だから考えた。「なぜ自分は、できない者が偉そうに言うことを間違っていないと思うのか」と。
答えは「期待があるから」だった。僕にできることならば、他人にできようができまいが、どうでもいいことである。僕がやればいいだけのことなのだから。僕にはできず、だれかにはできそうなこと。それが、知り得る世界に存在する彼の“アイデンティティー”である。僕の価値観で言えば「生きる価値」。
そんなものは要らないと思われるならば、それはそれまでのこと。彼は僕の世界で生きる価値を持たず、また僕も彼の世界から排除されることだろう。
確かに言い方は色々ある。でも僕は「できないから、言う」。
きっと初めてそんなことを言われた時の記憶。「その考えは、もっともらしく聞こえるけど何か納得がいかない」という思い。悔し紛れではなく、言い訳ではなく、そう思った。だから考えた。「なぜ自分は、できない者が偉そうに言うことを間違っていないと思うのか」と。
答えは「期待があるから」だった。僕にできることならば、他人にできようができまいが、どうでもいいことである。僕がやればいいだけのことなのだから。僕にはできず、だれかにはできそうなこと。それが、知り得る世界に存在する彼の“アイデンティティー”である。僕の価値観で言えば「生きる価値」。
そんなものは要らないと思われるならば、それはそれまでのこと。彼は僕の世界で生きる価値を持たず、また僕も彼の世界から排除されることだろう。
確かに言い方は色々ある。でも僕は「できないから、言う」。