携帯電話を2つ持っている。右手用と左手用だ。いや、そんなわけはない。個人契約のものと会社名義のものである。つい最近、会社名義のものを機種変更した。ワンセグメント放送対応のテレビ付き電話である。小さな電話が、手帳を食べ、手紙を食べ、ゲームを食べ、CDを食べ、テレビを食べ、どんどん成長していく。「食うか食われるか」――案外、生きている間に直面する問題かもしれないと、最近は思う。俺は、動物。ロボットにはならない。
 誕生日プレゼントという言葉があるように、プレゼントは主に何かの記念に連なって登場する。しかし「思い立ったが吉日」主義の僕は、プレゼントに必要なものは「気持ち」だけで、タイミングは関係ないと思っている。そんなわけで、ヨドバシカメラで見つけたUSB扇風機を、これから夜勤が続くサッカー担当にプレゼント。きっと、邪魔だとか言われるんだよなあ……(苦笑)。いいじゃん、面白ければ。
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困った時は
お互い
オレ様
 オフィスで仕事をしている時に、いわゆる「メッセンジャー」のソフトを使う。フロア内で少しデスクの位置が離れている人と簡単な確認作業をする時などは便利である。

 さて、あるファイルを開こうとしたところ、別の者がファイルを使用だったために開くことができなかった。しかし、開く必要があるので「メッセンジャー」でファイルを閉じてくれとメッセージを送った。すると「搭乗しました」との返事。創造力溢れるタイプミスに、思わず笑った。仕事で忙殺されている彼女は、随分と気分転換の旅行を欲しているようだ。アテンションプリーズ。
 あさりラーメン
+   半ライス
――――――――
ごちそうさまでした
「好き・嫌い」っていうのは、理由にはなり得るが、「好き・嫌い」に理由はない。

 ちょっと分かり辛いかもしれないけれど、これは僕の持論。好きだから、嫌いだからという理由は成り立つけれど、〜だから好きとか〜だから嫌いというのは成り立たない。なぜなら、好きだから〜が好きであり、嫌いだから〜が嫌いなのだから。

 分かりやすい例を一つ。僕はAさんが好きである。なぜなら可愛いから。これは成り立たない。可愛くても好きではない相手もいるはずだ。反対に、ブサイクでオシャレさがなくて体型も美しくないBさんが、なぜか可愛く思えてしまう。なぜなら、好きだから。これは成り立つのだ。

 ここまで話しておいて、それとは少し矛盾するかもしれない「最近思うこと」を書いておく。僕は思うようになった。「笑い声の気に入らない奴は、どうにも好きになれそうにない」と。それは理由ではあり得ないはずなのだが、致命的に思えてならない。
 焼き鳥界という業界に詳しくはないが、きっと「重鎮」や「名人」や「歩く辞書」などと呼ばれる人間がいたりするだろう。しかし「焼き鳥界のハンバーグ」というのは、なかなか聞かないのではないか。下北沢の焼き鳥屋『駅』のつくねは、まるでハンバーグだ。だが、軟骨のコリコリ感が失われておらず、あながちそうとも言い切れない――以前、この店でそんな途方も無い会話をしていたのは、オレと後輩のサトウユウだ。この日もユウと『駅』で、つくねを食らった。もちろん「焼き鳥界のスイートポテト」ニンニクの丸焼きもセットだ。(読んでもさっぱりイメージができない人は、ぜひお試しあれ!)

 以前、ユウの親友であるマルヤマが日記に書いていた「きょうイチ(今日に限って一番面白い)話」なんかで盛り上がった後、ユウの部屋でいろんな音楽を聴かせてもらった。なかには、ケセラ・スパンキー・ローズなんていう、ボーカルがフジイという名前でありそうなバンドの曲もあった。「オレもこのバンド知ってるよ」とか、白々しい会話もあったりなかったり。

 ユウは随分と酒が回ったらしく、ギターを鳴らし始めた。そして、オレに毒づいた。
「なんで、最近は詩を書かないんすか!」
 今になってみると、あれが「詩」と呼べる類のものなのかさえ怪しいのだが、確かに昔は詩を書いていた。オレとユウは、カーネルサンダースの手下としてアルバイトをした仲間だ。ほかにヤマグチというのもいたりなんかして、だれかが詩を書いては、それにインスピレーションを受けてだれかが別の詩を書く、なんて遊びもしたことがあった。ユウは、それを覚えていた。

 それから、オレとユウは「詩のボクシング」をおっぱじめた。深夜4時にオレが帰るまで。ユウが新しく作った曲も聴いた。いつものように気に入らないトコだけはちゃんと伝えておいた。ユウもいつものように、他人の話を聞かなかった。「きょうイチ」の後の「イチ」が、オレにはとてもデカかったね。
 着慣れないスーツを身に纏い、高田馬場のチャペルへ向かう。会場には、見慣れた顔が並ぶ。会社の同僚の結婚式なのだが、いわば職場結婚であるため、会社の人間が珍しい服装で集まったような感じである。僕らは新郎も知っているものの、新婦側で参列した。先輩のタケウチさんは、前日に紳士服のAOKIで5分で買ったというダブルのスーツで現れた。“ダンディーさん”と呼ばれている(すごいニックネームでしょ !?)先輩は、ノーネクタイで首に直接ネクタイ代わりのものを巻いて登場。おしゃれな着こなしで注目を集め、満足気だった。

 きっと日本語ペラペラの外国人がカタコトの日本語で神父を務め、式は無事に終了(式が終わった後、あの神父は「あー、緊張したー。鳥肌立っちゃった」とか器用に日本語を話すに違いない)。会場を移し、パーティーが始まった。僕にはまったく理解ができないのだが、次から次へと違う種類の酒がテーブルに運ばれてくる。酒が呑めない僕にとっては、どれも「アルコール」としか分類できない。ビールもワインも大して差はないのである。しかし、今日は祝いの席。招待状の出席葉書を出し忘れたものの、本当に祝福の気持ちで一杯だった。

 だから……なのかどうかは分からないが、ちびちびと酒を飲んでしまった。ビールをコップに4〜5杯程度だと思う。だが、アルコール未対応モデルの僕の体では、ビールをコップ2杯も飲めば“致死量”に達する。気持ちがいいんだか、悪いんだか。パーティーが終わりを迎えると、ふらつく足元で新郎新婦にあらためてあいさつをし、電車に乗り込んだ。一応、この後仕事をしたのだが、かなり周囲に助けてもらったこと間違いなし。だが、どれぐらい助けてもらったのかさえ分からず……。お、おめでとー!
「やべえよ、明日着て行くスーツがねえよ。もう、腹が入らなくてさ」

 昼からオフィスで落ち着かない素振りを見せている人がいる。先輩のタケウチさんだった。仕事がなかなか終えられず、焦りは募るばかり。どうにか仕事を終えると、一目散に紳士服屋へと飛んで行った。

 タケウチさんが言う「明日」とは、会社の同僚の結婚式である。一応、僕も招待されている。日付が変わって朝の3時。日時と場所を確認しようと思って招待状が入っていた封筒を手にすると、なんと招待状を出し忘れていたことに気が付いた……。ということは、僕が行ったとしても席がない?

 夜中の3時に、新婦に携帯メールを打つ。
「ごめん、招待状出し忘れてたんだけど、行ってもいいもんかねえ?」
 返事は朝だろうと思っていたが、意外にも即答で返って来た。
「お前もか!」
 お前“も”?
「ちなみに、タケウチさんもです! 一応席はあるから遅れずに来るように!」

 同レベルか……。
 ずーっと以前に、一度だけフットサルをしたことがある人に、4年ぶりに会った。僕は相手を知っているが、向こうは覚えていない。僕は不得意なのにも関わらず、1対1を仕掛け、あっさりとカットされた。昔、日の丸が付いたユニホームを着ていた女性だ。僕はこの人の物言いが好き。気持ちは隠さない、隠せない。だから、話していてとても楽しい。仕事以外でも会うような、友達みたいな人間になりたいと思う。10歳も年上だけどね(笑)。話していて、とても気持ちがいい。
 休みの日に、昼からスーツで銀座へ向かう。仕事絡みのちょっとした用事だ。銀座は、いつも落ち着かない。面倒な男と待ち合わせをし、あるビルに入る。打ち合わせとでも表現すればいいのだろうか、ちょっとした歓談である。そのなかで、ジャーナリズムというものを垣間見る。この男は、きっとずっと面倒であり続けるだろう。しかし、この男からもっと学ぶことがあるような気にもなる。面倒な事が起きたら、一つは学んで帰りたいものだ。
 世の中には、いろんな「スーパースター」がいる。だけど、支持率を考えると、だれも彼には勝てないと思う。彼の名前は宗教になっていて、最近では「ダヴィンチ・コード」なんていう本や映画で、彼の伝記が人気を博している。

 久しぶりに美術館へ行った。「連れて行かれた」と言った方が正確だが、嫌いじゃない。やはり、スーパースターを描いた絵の神々しさといったら、すさまじいものがある。

 オレはスターになったことはないけれど、あいつは結構大変なんだと思う。あの世にいるんだか、この世に“復活”したんだか何だか分からないけど、まあ会うことがあったら、朝マックぐらいは奢ってやりたいもんだ。あいつの名の下に、いったいどれだけの人間が命を奪い奪われているのか。あいつの悲しさは計り知れない。
 職人が2人いれば、ケンカが生まれる。だけど、職人が1人と職人に理解のない人間1人のチームよりは、きっと素晴らしいものを作るだろう。こだわりのある人間に、ぶつけるだけのこだわりはあるのか。誇りを持っているか。戦えるか。手を抜くな。
 2〜3時間、シートに座って居眠りをしていれば、西の京から東の京まで移動することができる。その間には、多くの人や生活や空間があるはずだが、まるでダイジェスト動画のように車窓に映る景色からしか感じることはできない。富士山を見ることもなく、あっさりと過ぎ去るのは、どこか物悲しい気さえする。

 学生の頃、京都の実家に向かう時は、いつも鈍行列車を利用した。自宅から実家までおよそ10時間。丸一日をかけて、東海道の景色や雰囲気を味わった。島田はパルプ臭く、東田子の浦は富士山がきれいに見える。冬の関が原は大雪に見舞われる。大垣の乗り換えは、階段を挟んでホームを斜めに走らなければならない。電車を乗り換えるたび、車内の言葉のイントネーションは変わっていく。だれがどこまで乗って行くのか、他人の生活を垣間見る。


京都へ続くこの鈍行列車には
二十世紀の落とし物が積まれています
しかし
東京へ戻るあの高速特急には
人生の早送り機能がついています
この事実が全ての選択の狭間に存在しているのです
涙の理由が二通りあるように

(新世紀ブルース)
 前輪の泥除けに自分の名前が貼ってある、銀色の自転車へ跨る。見事な五月晴れの下、京都・五条通りを東へ走る。西京極を越え、西院を越え、大宮を越え、烏丸を越え、河原町を越える。五条大橋には、牛若丸と弁慶の石像が立っているのだが、その手前にある五条河原町の交差点には、2台の車が立ち往生していた。歩道でオッサンが吠えまくる。どうやら、若い男のグループが乗った車と衝突したらしい。幸い、どちらも目立ったけがはないようだったが、どっちも弁慶じゃあ、そりゃぶつかるぜ。

 サドルから尻を浮かして左右の足を交互に踏み込む。五条坂を駆け上る。道の左手にお墓がある。親父の兄が眠っている。ここには、子どもの頃から手を合わせてきた墓石が2つある。本家の墓と、祖父の墓だ。祖父は、僕が生まれる前に死んでしまったから、会ったことがないのだけれど。その墓には今、親父の兄の名が刻まれている。

 あまりに天気が良いせいか、墓石を触ると熱かった。少し冷やすように水をかけ、素手で墓石を洗った。一人でここへ来ると、随分と丁寧に洗ってしまう。何度もバケツに水を汲み直すために、水汲み場まで往復する。とことん墓を洗いまくっていたら、知らぬ間に僕まで水浸しになっていた。どちらを洗っているのか分からないぐらいに。2つの墓を洗いまくり、しきびを備える。線香をたいて、ひざをついて、手を合わせる。この間、何度もしきびを忘れていたり、線香を忘れたりしていて、墓の前で何度も「あ、悪りぃ。ちょっとタイム」と言っては、やり直した。強い日差しの中、だれもいない小さな墓地で、一歩間違えれば昼寝をしかねないほど、なぜか落ち着いた空間だった。

 帰りは、五条と三条の間を自転車で往復した後、鴨川の河原へ降りてほんの一時、昼寝をした。鮮やかな空だけが目の前にあり、心地良い風に包まれた。これなら、来ない人間を待っていても、そう悪くもない気分だとか、心の中で嘯いてみた。まだ明るさが残っているうちに、僕は再び自転車を漕ぎ始めた。五条通を西へ行く。西京極のカーネルサンダースは、京都パープルサンガのユニホームを着ていた。紫色のフーリガンだ。桂川をわたり、来た道とは別の道へ進んだ。中学校時代の帰り道をなぞった。
「ここで、宗教の勧誘者をだましたっけ」
「ここで、奇妙な制服を着た男たちにカツアゲをされそうになったっけ」
「ここで、放置されていた自転車を盗んだっけ」
「ここで、帰り道にたこ焼きを買い食いしていたっけ」
「ここで、ケンカで折られた歯の治療を受けたっけ」
「ここで、日曜日なのに寝ぼけて学校へ行こうとしていることに気付いたっけ」
 どうでもいいことが、たくさん思い出された。でも、あまり大事なことは、なかった。

 家に帰り、今度は電車で四条烏丸へ。広島に単身赴任中の親父を除く家族3人で寿司を食って、再び電車に乗って家へ戻る。そして一夜が明ければ、僕は東京へ戻る。アバヨ!
 普段は一人暮らしをしていて、久しぶりに実家に帰省――例えば、こんなシチュエーションなら、実家ではどのような話に花が咲くだろうか。どこそこのお店が無くなった、とか。新しいお店ができた、とか。だれそれさんが結婚したのよ、とか。きっと“久しぶり”の前後をつなぐ話が一般的だろう。

 ところが……。我が家ではなぜか、その間にそれぞれが行った旅の話題が主題だった。妹は中国に留学していた頃の話、おふくろは、単身赴任している親父が住む広島へ行った時の話。僕は、東北へ行ってインフルエンザにかかって倒れた話……。今まで、それほど意識はしていなかったが、我が家では旅の話をし始めると、かなり長い間続く。おふくろも妹も、僕が知らないだけで随分とあちらこちらへ行っているようだ。そう言えば、父方のばあちゃんは、今でも一人でひょいひょいと海外へ行ったりする(よく考えると、すごいな……)。そして、おふくろは120万円もかかる世界一周の船旅とかいうツアーに参加したがっていることが判明(3カ月ぐらいかかるらしい)。

 実家じゃなくて、どこか別の場所へ旅に出た方が良かったかな……。
 週末は、久々に実家へ顔を出します。前に行ったのは、いつだったかな。墓参りに行って雨に降られたことは覚えているけれど、ほかのことは何も覚えていない。そうだ、まだ当時は妹が海外にいたはずだが、今は実家にいるらしい。

 家族の話になると、僕は「〜らしい」とかあやふやな面が多くなってしまう。親父や妹の年齢もパッとは出てこない。ある時、家族の話になって、僕が今ひとつ思い出すのに苦労したことがある。すると、話していた相手が「変なコト聞いた? ごめん」と謝ってきた。まあ、そういう事情がある人もいるのだろうけれど、幸福なことに、僕にはそういった事情はまったくない。単に覚えていないのだ。

 誕生日は全員分覚えているのだが、どうしても親父と妹の年齢はあやふやになってしまう。妹は今、いくつなんだろうか……。ん? そろそろ結婚してもいいぐらいの年齢か? 多分、そうだな(笑)。
 オフィスには、置き傘が3本ある。いつ雨が降っても安心だ。しかし、部屋には傘がない。外は、雨が降っている。

 雨の中を走れメロス、置き傘が待っている。
 世の中では“ちょいワル”が流行っているという。その言葉の代名詞とも言うべき人に会った。完ぺきと言っていいぐらいに、格好良かった。「オシャレな大人とは、まさしくこれだ」と思った。あまり他人に憧れを持つことはないのだが、あんな格好になれるものならなってみたいとも思う。

 ただ、言葉としての“ちょいワル”というのは、今でもよく分からない。単純に“ちょい”の加減をできる人間は格好いいということなのだと思う。別に“ワル”な必要はなさそうだ。

 オフィスに戻ると「ちょいワルは、どうだった?」と聞かれたので「格好良かったです」と答えた。「お前も、ちょいワルを目指すの?」とも聞かれたが、これには隣から「あいつは、ちょいじゃない」と余計な一言。

 オシャレさは“ちょい”にある、と考えている僕にとっては、それは「オシャレじゃない」と同義である。まあ、確かにオシャレのセンスはないけれど、オシャレな発想は持っていたいとこれでも思っているわけで、少しは心に傷が付くというものだ。いや、それよりも、ちょいじゃないとすれば、なんだ? ワルか? 善人を捕まえて悪者呼ばわりとは、まったく酷い話である。
「ミクシィ」で見つけた、昔の同級生に会ってきた。中学1年生の時に同じクラスだった女の子と、12年ぶりに会った。彼女が卒業した中学校に、僕は1年しかいなかった。2年からは京都に移り住んだためだ。だから、本来なら14年ぶりの再会のはずなのだが、3年生の時に彼女たちが修学旅行で京都に来た際、僕が宿舎へ遊びに行ったことがある。その時にも話をしたのだが、本人はあまりよく覚えていないらしい。

 僕が宿舎へ遊びに行った時、そこには随分とショッキングな感覚があった。中学の2〜3年と言えば、あらゆる面で人は変ぼうを遂げる。僕を含めて、男なら身長が20センチ以上も変わってしまう。みんな雰囲気がガラッと変わっていて、だれがだれだか分からなかったのだ。それでも、そのコはそんなに変わった印象がなかったから、すぐに分かった。そんな話をすると、同窓会でも「目印」にされたと言っていたので、笑った。話の中で思い出したほかの女の子に電話をしてみたりとか、ほかの同級生と会った時の話なんかを延々としていた。

 話を聞く限り、みんななかなか面白い奴になっていそうで、楽しかった。あいつらは今、何をやっているんだろうか。ちなみに、そのコは会社の社長で、人妻で、お母さんだ。彼女曰く、オレは「スレた」らしい。今でも十分、ぴゅあ〜なつもりなんだが。まあ、人生いろいろあるわな。

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