ごく一般に捉えれば、「学生時代の友人」というのは、複数系だ。

 僕の場合は、その数から時にして固有名詞になりかねない危険性を持つ。

 さて、本題。

 大学時代の友人とご飯を食べました。小説が好きな女の子。

 校正の仕事をしながら「文章でお金を稼ぎたい」という目標を持っている。

 話せば話すほど、自分のなかに“あるべき”で“ない”ものに気付いていく。

 この後、いろいろ書いたが消すことにした。ここで終わる。
 会社のビルの1Fに、コンビニエンスストアがある。

 最近は、ドリンクの棚にジンジャーエールが並んでいた。

 記憶は確かだ。並んでいた場所も覚えている。

 しかし、習慣的に手を伸ばした棚に置かれていたのは、ファンタだった。

 オフィス街からジンジャーエールを消してファンタを置くなど、論外である。

 まだジンジャーエールのCMも放送されている期間だというのに。

 このコンビニエンスストアの店員のだれかが、ジンジャーエールを殺したのだ。

 世にも恐ろしい、殺ジン(ジャーエール)事件である。
 自分の人生に見出しを付ける。

 思い浮かばない。

 それでは、いけない。

 手出し、口出し、裸足、見出し。

 口ばかり、言葉ばかり。記事にならない人。

 会社員A、市民A、生徒A、B級A。

 一流の二流な我流。二流な三流の……。

 しみったれ、脳内SM、パンク・ロック。

 こだわり、誇り、可能性、堕落。戯言。
「人」という字を「言葉」という字に置き換えてみた。なにとなく。

 言葉殺し、言葉さらい、恋言葉、愛言葉、言葉質、変言葉、アメリカ言葉。

 職言葉、水先案内言葉、個言葉、天下言葉、新言葉、中華言葉民共和国。

 言葉類、100万言葉、旅言葉、他言葉、七言葉の侍、小倉百言葉一首。

 言葉間、基本的言葉権、言葉付き合い、言葉材派遣、4言葉に1言葉。

 仲言葉、業界言葉、病言葉、松本言葉志、無言葉島、三言葉麻雀。

 北京原言葉、一般言葉、達言葉、言葉手、言葉面魚、知言葉、友言葉。

 使用言葉、言葉差し指、日系言葉、一言葉旅、独立行政法言葉、一言葉暮らし。

 言葉形、白言葉、黒言葉、黄色言葉種、素言葉、玄言葉、一番言葉気。

 ひと びと にん じん――ことば。
 あちらこちらで綺麗な桜を目にするようになったと思ったら、もう4月に突入です。今日は草サッカーとロックのライヴに行って来ました。あえて順番に書きますが、まあ色々と慌てふためいた1日でした。

(1:結婚ラッシュ)
 久々に草サッカーに参加すると、2人ほど結婚していた。さらに結婚予定者が続々といるという。「久しぶり」と挨拶をしては「おお、そうなんだ? おめでとう」というパターンの連続だった。やっぱり、みんな結婚するものなんですねえ……。

(2:痙攣)
 筋肉痛は覚悟していたが、あまりに久しぶりだったため、もう一つの敵を忘れていた。休憩を挟んだ後の2試合目、最初のダッシュで足が攣った。あとは、どうにかごまかしながらプレー。そして試合後は、1時間後に四ツ谷でライヴを見る予定だったので、ピクピクと痙攣しかける両足を交互に前へ出して、本蓮沼の駅へと向かった。

(3:鍵)
 四ツ谷に向かう電車の中、サッカー仲間のジュンから電話。「お前、キーケース忘れて帰ってない?」――焦っていたので気付かなかったが、確かにキーケースがない。特徴を聞いて、自分のものだと確信した。だが、取りに戻るとライヴに間に合わない。「悪いけど、ちょっと預かってて」と頼んだ。ちなみに、ジュンは自分の車の鍵をなくしたために、グラウンドのベンチまで探しに戻ったところ、僕のキーケースを発見。それがなければ、僕は途方に暮れていたに違いない。

(4:ライヴ)
 後輩のフジイがヴォーカルをやっているロックバンド「Quesera Spunky Roars」のライヴ。見に行くのは、久々だった。最近は、オムニバスのCDが出たり、関西方面へのミニツアーをしたりと充実しているらしい。(詳しくは、ぜひホームページで。http://happy-sunny.com/quesera-top)そして肝心のライヴはと言えば、少し見ない間にパワーが桁違いになっていて驚いた。特に音楽に詳しいわけではないのだが、たくましさが全然違った。曲に乗って体を揺らすが、時々足がピクピクした。

(5:ジュンもアタフタ)
 ライヴの後、本当は打ち上げ(あったかどうか知らないが)に参加したかったのだが、いかんせん家の鍵を預けたままなので、ジュンに連絡。武蔵小杉でメシを食っているとのことなので、四ツ谷から移動。ちなみに、ジュンは結局車の鍵が見つからずに、電車で帰って来たのだが、後になってカバンの底にあるのを発見。「明日、車取りに行くよ。あー、めんどくせー」。ジュンが幾重にも被った「めんどくせー」の1つのおかげで、僕は「めんどくせー」を1つ減らすことができた。すまんな、ジュン(笑)。

(6:ラーメン屋で)
 武蔵小杉から南武線に乗り、登戸経由で帰宅。途中、知り合いの女の子が逆方面から登戸に向かっているというので、メシを食うことにした。だが、あまり時間もなく、店もよく知らない上に、飲み屋は満席。仕方なく、近くにあるラーメン屋「むつみ屋」に向かった。が、入口を跨ごうとしたところ、すぐ近くの席に同じ会社のカガブ君を発見。あまりよく見えなかったが、彼女といるっぽかったので、ちょっと気を遣って店を変えた。思えば、大学の時はラーメン屋で高校の同期を見つけたことがあったっけ。

 そんなこんなで、充実した休日でした(足が痛いけど)。帰宅後は、真っ先に風呂に入って就寝。途中で足が攣ったりしないことを祈る……。グッナイ。
 会社の同じ部署にいる女の子(年上)が結婚する。5月に式を挙げるという。めでたい話である。

 その本人から「結婚式、来る?」と聞かれたので「行ってもよければ」と答えた。

 すると「他人の結婚式なんか行かねえよ、って言いそうだと思った」と言われた。

 苦笑いするほか、僕に手はなかった。どうして、かくも悪いイメージを持たれるのか。

 若干、ショックである……。
 小野のパスに異変を感じた。

 サッカー日本代表の親善試合(エクアドル戦)をテレビで見た。気になったのは、小野伸ニが今ひとつ輝かないことである。技術は申し分ないし、プレーの精度が特に落ちるわけでもない。一見、ごく普通のプレーに見えるが、それは異常事態のように思える。小野は、もっと特別な印象を与える選手だったはずなのだ。

 1999年、シドニー五輪のアジア地区1次予選(フィリピン戦)で左ひざに重傷を負った彼は、以降けがとの戦いを強いられている。まさに、けが、リハビリ、復帰の繰り返しである。そして、日本代表に招集されては負傷で離脱するという悪いサイクルが生まれた。6月にワールドカップ開幕を控え、彼は自分のポジション確保に焦っているようだ。おそらく、自称・他称を問わずサッカーファンならば、ここまでの流れは「知っている」ことだろう。小野自身も、ポジション争いにおける立場として有利な状況にいないことを認識している、というコメントを何度も出している。

 さて、エクアドル戦を見ながら新たに気付いた点は、小野が繰り出すパスの異変である。どこかせわしない気がする、今の彼のパスは、時々「自分勝手だなあ」という印象を与える。フェイントで相手をかわす動きに会場が沸き、ノールックパスで味方にボールを送る。いいプレーだが、僕はそこに小野の特別な持ち味を感じない。小野のプレーの特徴は、蹴ったボールが言葉を喋り出す部分にある。こんなふうに書くと「お前は頭がおかしいのか」と言われそうだが、少なくとも渡欧前の小野のプレーには、一つひとつメッセージが込められているように感じられた。「お前の利き足にパスを出すから、ワンタッチ目で前に仕掛けろよ」とか「後ろから敵が近付いているから、ボールに近寄りながらパスを受け取れよ」とか、小野のパスを見れば次のプレーヤーがどうすればいいのかさえイメージできた。

 しかし、今の小野のプレーから「メッセージ」は聞こえてこない。焦りから余裕がなくなったためなのか。だとすれば、彼は自信を取り戻すために、自信を持つべきだ。いや、ちゃんと書こう。「自分は日本代表に必要な選手で、期待に応える貢献をできる選手」という、メンバー選出への自信を取り戻すために「自分は優れた選手である、一段上のプレーができる選手である」という自信を持ち直すべきである。

 エクアドル戦で、小野はミドルレンジから思い切ったボレーシュートを放ったが、外した。小野は苦笑していた。しかし、余裕がある時の小野ならば、その場面はきっと笑いなどせず、何もなかったかのように次のプレーに移っているのではないかと感じた。先日のJリーグ(横浜F・マリノス戦)でゴール前からシュートを外した時、彼が頭を抱えているシーンを見た時に感じた違和感の謎が解けた気がする。

 僕が今の彼に輝きを感じないのは、ボールが言葉を失ったからである。小野自身は、ボールにメッセージを込めるプレーに対して今、どのように感じているだろうか。そもそも、こんなことを思っているのは僕だけなのかもしれないが、どうしても気にかかるところである。
 年を重ねていくうちに、人は泣く機会が少なくなっていく。

 強くなっているのだろうか。薄情になっているのだろうか。

 寒いだけで凍えて泣いた冬があった。辛いだけで泣いた夜があった。

 廃車になる白いスカイラインを見送って泣いた昼があった。

 確かに、あった。
 土曜日にサッカー観戦の話を書いたが、そこから派生した別の話を書こう。会社の面子でランチを食べに行った時のことだが、浦和レッズのファンは、浦和を応援していない人には嫌われる傾向が強いという話になった。僕にはそうした感覚はないのだが、周囲に「レッズは、ファンが嫌」という声は確かにある。

 僕が推測するに、その気持ちには多かれ少なかれ嫉妬心が含まれているのである。「自分のチームが一番盛り上がればいいのに」と、楽しみを独り占めしているレッズのファンが嫌なのである。もちろん、単に群れるのは嫌だという人もいるだろうけれど。僕は「アンチ○○」というのが好きではない。まるで自分の可能性を否定するようで嫌なのだ。人間の器が小さくなるような気もする。

 だが、その一方でアナーキストやニヒリストに憧れている、とってもちっぽけな自分もいる。
 女子サッカーの「L・リーグ」に今季から新しいチームが参入する。その名も「福岡女学院FC」。どんなチームなのかを知りたくて、公式サイトを見た。デスクの背後から声が聞こえたのは、その時だった。

「お、何見てるんすか」

「あ、女子サッカーのですね……」

「女学院っすか。ほぉー。怪しい趣味っすね」

「いや、そうじゃなくて……」

「女学院って響きがちょっと怪しいっすよね」

「いや、だからさあ……」

 チーム名が掲載されている記事を見せて、ようやく納得してもらえた。

 実は、似た話がもう一つある。以前、ビデオ制作会社の関係者と名刺を交換した。

 その後「プレスリリース」を頂けるようになったのだが、その内容が往々にしてアダルティックなのだ。

「新作ビデオ!○○○○○○○○○○」(書きませんが……)などの表題でFAXやメールが名指しで会社に届く。

 事情を知らない人が見たら「会社で何をやっているんだ」ということになってしまいかねない。

 デスクの後ろの人の気配を気にしながら、メールを最後まで読んで、自分の仕事と関係する事項に新情報がないかチェックする。

 妙なドキドキ感に襲われながら、素早くメールを閉じる……。なぜに、コソコソせねばならないと思いつつも、勘違いを恐れる。

 いや……、違うんです……。本当に……。
 テニスは、スポーツ界の“チラリズム・キング”である、と思う。小学生の頃、初めて女子のテニスコスチュームを見た時は、視線を向けていいものか迷った。「スコート」が「スカート」に見えていたからである。スカートの下のパンツのようにチラチラと見えていたものは、スコートの一部だと知った時には、なぜか安堵感があった。

 現在、米国で行われているナスダック100オープンの写真を見ていると、チラリズムの増幅に気が付いた。人気ナンバーワンの女子選手であるマリア・シャラポワのユニホームは、胸元が大きく開いたものになっていた。

 また、別のところでは初めて気になったのだが、男子選手のユニホームにもチラリズムがある。それは、ヘソ。サーブを打つ度、彼らのユニホームは高く上げた腕に吊り上げられ、鍛え抜かれた美しい腹筋をチラリと見せるのである。

 そんなわけで、テニスはチラチラしっ放しなのであり、「キング・オブ・チラリズム・イン・スポーツ」である、と思う。
 何もできずにボコボコにされた。寒さに耐え忍ぶメーンスタンドで、5000円のチケットがしおれた。横浜F・マリノスが、浦和レッズに惨敗した。大惨敗した。コテンパンにやられた。弄ばれた。前半終了直前にセットプレーから失点すると、後半開始直後に2点目を献上。以降、42分間もイライラする羽目になった。ペースを取り戻すための意思の疎通が見られないままプレーを続けるチームに、隣の席から「何なの、それは?」と声が飛ぶのも無理はなかった。

 ただひたすら後方からフィードボールを送り、跳ね返される。面白みの欠片もない試合展開だった。サイドを突破するでもなく、ワンツーなどでテンポを変えるでもなく。かと言って4トップにするでもなく、2バックにするでもなく。策はあったのか? ゴール裏は、相変わらず何を言っているのかまったく聞き取れない歌でナルシシズムに浸っている。だれも頼りにならなかった。

 選手それぞれに能力があることぐらい、僕でも知っている。その力が、Jリーグで比較的高いレベルにあることも。監督も実績を重ねている。それでも、僕には“脳みそのない試合”に見えた。戦意が感じられないチームに、気持ちが踊ることはない。正直に言って、応援するに値しなかった。

 試合終了直前、途中出場で頑張っていたFW大島が1点を返した。なぜかスタジアムは盛り上がりを見せた。確かに数字上では1点差に詰め寄った。だが、内容で言えば「1点はあげてもいい」サッカーで息を抜いているチームから挙げた1点である。そして、DF松田が急造のボランチに入るような、その場しのぎのやり方で“取れた”1点である。案の定、点はすぐさま浦和に取り返された。F・マリノスのファンはなぜか落胆していたが、僕は当然起こり得ると思っていた。

 試合終了のホイッスルが鳴ると、隣で観戦していたカップルが「最後の1点が余計だったね」と話をしていたが、僕にとって、それは問題ではなかった。“脳みそ”が見えなかったことへの苛立ちでいっぱいだった。僕は、ただ頑張る人を観に来たのではない。ただ勝つ人を観に来たのではない。勝つために、積み上げてきたものを注ぎ込む人たちのプレーを観に来た。しかし、それは感じられなかった。

 ただ、空しさと腹立たしさだけが残った。
 近くにいる人間の癖が、いつの間にか自分の癖になっている。

 そんな現象が子どもの頃から続いている。

 口笛を吹くようになったのも、指を鳴らすようになったのも。

 僕の行動の隅々に、これまで見てきた人間の一部が染み込んでいる。

 オリジナリティとは、何? 僕は、他人真似小僧。
 騙される側と楽しみを共有できないウソは、好きじゃない。

 面倒くさい手回しは、好きじゃない。
 堕落し切った生活に、誇りも意地もあるものか。
 野球の国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦を後半からテレビで見たが、9回表の西岡のバントにしびれた。試合の流れ、周囲の雰囲気を自分の感覚の内側に取り込んだ、絶妙のプレーだったように思う。

 こんなことを書いてから言うのも何だが、僕は普段、野球を見ない(高校野球を除く)。小学生の頃、所沢近辺に住んでいたが、巨人ファンと西武ファンに囲まれながらも、僕はどのチームのファンでもなかった。だから、僕の記憶に残っているプロ野球のシーンと言えば、かなり限定されるのだ。

<小学生時代>
1.駒田徳広(当時、巨人)の身長が羨ましかった。
2.小学生時代、同じ水泳教室に通っていた友人のアンドウが、清原、秋山(ともに当時、西武)の背番号が「3」、「1」である意味を熱弁したこと
3.小学生時代、齋藤雅樹(当時、巨人)が、完全試合目前から中日に打ち込まれて敗戦投手になったシーンをカーラジオで聞いていたこと
4.小学生時代、ファミコンの「ファミスタ」でガリクソン(当時、巨人)に投球させたら炎が出たこと
5.小学生時代、ホーナー(当時、ヤクルト)ってすげえじゃん! と思っていたら、いきなり帰国してガッカリしたこと。
6.日本シリーズで巨人が近鉄に逆転勝利し、巨人ファンの友人が散々に加藤哲郎(当時、近鉄)を罵倒したこと。
7.「オレは巨人の山倉を教えていた」という怪しいオッサンが近所に現れ「サインはこうやって出すんだ」とか言いながら、やたらと股間を触ろうとしてくるので、野球遊びを中断したこと。

<中学生時代>
1.プロ野球チップスに付いていた岡林洋一(当時、ヤクルト)のカードの裏に「愛称はパラやん(パラグアイ生まれだから)」と書いてあったこと。

<高校時代>
1.日本シリーズの延長戦で展開された、小林宏(当時、オリックス)とオマリー(当時、ヤクルト)の14球勝負に震えたこと。
2.馬場敏史(当時、オリックス)が日本シリーズでファインプレーを連発したこと。
3.母校の先輩である大家友和(当時、横浜)が、地元・京都の西京極で行われたオープン戦に登板したが、落合(当時、巨人)にホームランを打たれたこと。

<高校卒業以降>
1.97年のセ・リーグ開幕戦で、齋藤雅樹(当時、巨人)が小早川毅彦(当時、ヤクルト)に3打席連続本塁打を浴びたこと。

 まあ、西岡のバントはこの最後に追加されるわけですが……。妙なものの中に混ぜてしまって申し訳ない気もしますね……。
今日の日記を読んでくれた、すべての野球ファンへ。ごめんなさい(爆)。
 会社の向かいの席で、先輩であるタケウチさんの声がした。
探していた誰かを見つけたようだったが……。
「あ! なんか用事があったんだけど」
「思い出します!」
 もはや、誰も「思い出してから声かけろよ」とさえもツッコミはしなかった。

 小学生の頃、授業中に先生が「この問題、分かる人」と言い、
僕を含めた大勢が手を上げて「はい! はい!」と言っていた時の光景を思い出した。
先生から指名を受けたのは、当時僕が一番仲良くしていたアベという友だちだった。
右手を大きく上げてアピールしていたアベは、先生から指名を受けるなり即座に立ち上がった。
「はい!」
「分かりません」
 あまりに真顔だったため、後で聞くと「待っている間に何を言うか忘れた」のだそうだ。

 君たち、幸せやね。
 実は今年からF1を見ることにしている。縁あって(?)F1の記事を読む機会が増え、興味が沸いた。しかし、初戦のバーレーンGPこそすべて放映番組を見たが、今日は帰宅が遅くなってしまい、第2戦マレーシアGPは残り12周しか見られなかった。残り12周から、それ以前に起こったであろうことを推測できるほど、僕はまだ知識を蓄えておらず、結果的には記事を読んだ方が分かるような結末になってしまった。

 初戦で面白いなと思ったのは、アナウンサーがスーパーアグリチームを表現する際に「耐久レース」という言葉を用いたところだ。普通、モータースポーツで「耐久レース」と言えば、鈴鹿8時間耐久レースや、ル・マン24時間レースをイメージする。陸上に例えるならば長距離走に当たる。F1は、そのスピード感から短距離のイメージがあったが、見ているうちに400メートル走あたりに相当するのではないだろうか、とイメージが変わってきた。モータースポーツの短距離走は、ドラッグレースやゼロヨンといったところか。

 F1に「耐久レース」というイメージはなかったが、考えてみれば、よく的を得た表現だと思う。もちろん、アナウンサーはマシンや環境に恵まれない状況下で頑張っているスーパーアグリチームだからこそ、この表現を使ったわけだが。

 これまでの、僕の中でのF1と言えば「親父がよく見ている」、「鈴木亜久里は表彰台を経験しているが、親父に言わせれば中島悟の方がすごいらしい」、「ナイジェル・マンセルは、スーパー・マリオに似ていた」、「昔、古館伊知郎さんが快実況で人気を博した」、「アイルトン・セナの後は、ミハエル・シューマッハーがすごかったけど、去年はフェルナンド・アロンソというスペイン人が優勝した」という程度の知識&イメージであるが、今年1年でどれぐらい変わるのか。自分でも楽しみにしている。あー、第2戦もちゃんと見たかったぜい。
 小学5年生が自宅で首をつったという、悲しい記事を読んだ。学校で教師から注意を受け、帰宅後に死亡したという。記事には、その日に学校で起きた出来事がいろいろと綴られていた。首をつってしまった子が、どんなことを考えていたか、(普段から)どんなことをしたのかは、分からない。ただ少し、僕は同じ年頃の思い出を振り返った。

 当時、一番気になっていたことは「もしかして、先生なんて全然正しくないんじゃないの?」という疑問だった。それまでは、比較的ながら優等生の部類に入っていたはずなのだが、少しずつ感覚が変わっていった。テレビでドラマ「はいすくーる落書」を見たり、千葉のいとこの家で初めてザ・ブルーハーツの曲を聴いたりしていると、自分の中でずっとモヤモヤしていたものが、「やっぱり、たまにはオレが正しいよなあ」などと思うようになり、ようやくスッキリしつつあった(大いなる自己確立と大いなる勘違いの始まりですね)。

 自分に対して怒っている人に「いやいや、オマエが間違ってるやろ」と思う事は、今でもよく起こる。でも、小学生から特に高校生ぐらいまでは、いかにも学校や先生というものは模範的存在として扱われているために(当初は僕自身もそういう目で見ていたから)余計に反抗心が強まった。小学校の6年生では、納得のできない理由で怒られたため、授業をボイコットした。中学では、もはや先生に親近感を覚えず、無視。高校では、屁理屈のオンパレードで卒業式の日に担任から「オマエの担任、嫌や」と言われた(2年も受け持ったのに)。

 いずれにしても、思い出してみれば、どうでもいいような些細な事なのだが、やはり特に小学校時代は「どうして分かってくれないのか」という思いが強かった。だれにも理解されない世界など、面白くないに決まっている。でも、性質の悪い性格のためか、そういう時ほど小さな企みはどんどん膨らんでいく。まったく別の、世界の捉え方が見えてくる。人に愛されないのは、辛い。でも、自分を発動したい。孤独がオリジナリティーを強めるような、奇妙なSM現象が起こる。「オレはどうして同時にできないのか」と、いつも思う。

『探すのを止めた時、見つかることもよくある話』と歌った人もいるけれど、いつも答えは見つからない。あー、今日も見つからない。
 最近、ラーメンをよく食べるという話を数日前に書いたが、カップ麺を食べる割合も多くなった。

 カップ麺を眺めていると、いろいろなカップ麺のCM、特にその音楽やフレーズが頭をよぎる。

 例えば、エースコックの「スーパーカップ」では、THE TIMERSの「デイ・ドリーム・ビリーバー」。

 忌野清志郎の独特な声は、初めて聞いた時からずっと耳の中に残っている。

 日清の「UFO」は、UFO仮面ヤキソバンのCMがコミカルでウケた。

 同じく日清の「ラ王」では、今や想像もつかない中田英寿と前園真聖のちょっと恥ずかしいCMがあった。

 また日清「チキンラーメン」なら、最近は国分太一と仲間由紀恵の印象が強いだろうが、

 やはり思い出すべきは「すぐ美味しい、すごく美味しい」のフレーズだろう。

 「どん兵衛」にしても、やはり中居正広ではなく、山城新伍と川谷拓三(故人)のコンビ。

 ペヤングの「ソース焼きそば」なら、立川志の輔の顔が思い浮かぶ。

 明星なら「チャルメラ」のチャルメラおじさんだ。

 マルちゃんの「赤いキツネ」と「緑のタヌキ」は、武田鉄也により、ものの見事にセットで頭にたたき込まれている。

 サッポロ一番の「カップスター」を見れば、「食べたその日から、味のとりこに、虜になりました」のフレーズ。

 ほかに、いつでも「新発売」とうたっていた「けんちゃんラーメン」というのもあった。

 世の中、いろいろなCMがあるけれど、カップ麺絡みでは、かなり個性的で印象の強いCMが多いような気がした。

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