電車の車両の中をイメージしてほしい。

 例えば静かな車両の中で、ウォークマンの音漏れが聞こえる。

 さほど大きな音でなくとも、強く不快感を覚える。

 だが、しかし。例えば混雑した車両の中で、やかましく話す集団がいる。

 聞きたくもない話に耳が反応し、とてつもなくイライラする。

 ヘッドフォンがあったらいいのに、と思う。例えばあったとする。

 音楽を聴く。話し声を遮る。遮るまでボリュームを上げる。

 すると、音が漏れる。漏らせたくはないが、漏らさずにはいられない。

 満員電車の中で、押し合い、圧し合い。その中で、だれかの口が僕の耳の裏側で開く。

「そういう言い方じゃなくて、○△※■○! こんな感じじゃん?」

「それじゃ、○○みたいじゃん。そうじゃなく、■▽※$○って感じだって」

 耐え難い不快感の波がどっと押し寄せてくる。イライラが体に充満する。

 スタンガンがあったら、一発と言わず、五、六発は見舞ってやりたい気持ちになる。

 込み合う車内では、たとえ音漏れをするとしても、僕は音楽を聴くことにしたい。

 音楽を聴くためというよりは、気持ちの悪い声で頭が狂わないように。

「死んだ方がいい奴は、死んだ方がいい」(漫画「The World Is Mine」)
 自宅アパートの入り口に、見慣れない張り紙を見つけた。

 どうやら、このアパートにBSデジタルのアンテナが設置されるらしい。

 住民はゴールデンウィークの設置工事後、無料で衛星放送が楽しめると書いてある。

 つまり、チューナーを各戸に配備するということだ。嬉しい話だ。

 ちゃんと家賃を払おう……。
ぷらいど 【4月23日(日)】
(本日の日記は、写真とともにお楽しみください)

 どうしたんだ? 何もそこまで無理をする必要は、ないじゃないか。

 おにぎりには、おにぎりの誇り……プライドってものがあるだろう?

 どうして、君はそのように丼になりたがるんだ。

 確かに異端児かもしれないけれど、巻き物じゃないかもしれないけど、

 君はおにぎりの誇りを持つべきだよ。ああ、とても残念だよ。

 僕にとって、君は丼ではないんだ。決して。君は、おにぎりだ。
 オフィスでサラリーマンをしていると、時折こんな言葉が聞こえてくる。

「買出しに行くけど、何か要る?」

 人はそれぞれ、弁当を細かく注文する。買いに行く人も随分細かく聞く。

「○○系の○○がいいな。でも○○が入っていないやつで」

 つまらないと思ってしまう。

 買いに行く人と、頼む人の不一致を楽しむべき瞬間がぶち壊される。

 買いに行く方には、堂々と間違える権利を与えるべきだ。

 僕が買いに行く時は1点だけ注文を聞く。それ以外のことは任せてもらう。

 僕が頼む時は、1点だけ注文する。それ以外のことは任せる(基本的に、ではあるが)。

 ご飯は、サービスの心に満ち溢れている。だから、それをできるだけ楽しみたい。

 他人が自分のために作ってくれたご飯は、うまい。他人が自分のために選んでくれた料理は、嬉しい。

 おふくろは健康に気を遣って、僕の好き嫌いをなくす努力をした。

 でも、好き嫌いをなくすのは、健康面よりも、ご飯の喜びや嬉しさを素直に受け入れるために大事だと思う。

 ごちゃごちゃ言わずに、サービスの精神を楽しんで食せ。まあ、うまくない食べ物も確かにあるけどな。

<おまけ:記事紹介>
SEXしたら、爆発します…… !?
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1873939/detail
「来る者は拒まず、去る者は追わず」という言葉がありますが、僕の場合は、とても気分次第。

 来る者を拒んで、去る者を追うこともしばしば。

 拒むべきものでないものを拒むこともしばしば。

 追って迷惑なものを追うこともしばしば。

 でも、相手もそうならいいと思う。

 僕を拒みたければ拒み、追いたければ追えばいい。いつだって。

 もちろん、追えばいいって言っても、追われたときに拒むこともあり得るのだけれど。

 でも、自分の気持ちにウソはつけない。人に好かれなくても、嫌われても。

 オレはオレのやり方で。覚悟を持って。いつだって、さようなら。いつだって、いらっしゃい。

<おまけ>
 ふと頭に舞い戻ってくる歌。オレに必要な曲。オレの言いたいことを歌ってくれる曲。今日は、THE BLUE HEARTSの「電光石火」を聴いてほしい。今すぐ買いに行って聴いてくれ。
 自分に酔う人間の相手は、得意じゃない。

 相手の器が小さく見えることほど、悲しいことはない。

 気付かないふりをすることが優しいなどと、僕は思わない。

 女の子のロマンチックごっこには、付いていけない。

 その割に、男どものヤクザごっこには、知らずに引き込まれていたりする。

 自分が自分に酔うことも、きっと気付かぬところでやっている。

 自分の嫌いなことを、自分が体現していたりする。

 矛盾だらけ。理屈は通っていない。説明も都合よくしかできない。

 ただ、ハッキリしているのは、今の状況は気に入らないということだ。

 バケツ一杯の水に相当する言葉を、僕は一晩考えた。

 そして、そのまま眠りについた。気分は悲しかった。
 国民総背番号制という言葉が生まれるほど、世の中ではデータ管理が流行している。

 自分のパソコンを使うためのID、メールサービスを使うためのID、コミュニティを使うためのID。

 親に付けられた名前、友人から付けられたニックネーム、だれかの都合のためのID。

 一体、いくつの名前を持たせれば、気が済むんだ。オレは、だれなんだ?

 はたまた、別のところでは、勝手な都合で名前を付ける輩もいる。

 ミクシィで見つけた小学校時代の友人から、面白い昔話が届いた。

 「そういや親父はタジマっていっていたような(笑)」

 読んだ瞬間に思わず吹き出したが、確かにそんな覚えがある。

 友人の親父は確かに、僕を「タジマ」と呼んでいた。一字もあっていない。

 大学のゼミでも教授は、「ヤマグチ」とか「ヤマシタ」とか呼んでいたが、字数さえあっていない。

 僕はだれ? っていうか、お前ら何だ (笑)!?
 タイピングをしていると、打ち間違える。それは、だれにでもある。

 変換を間違えることもある。これもまた、だれにでもあることだ。

 しかし「正しく」するための意思のベクトルが2つあるとき、

 モニターには、ちょっとおかしな風景が生まれる。

 獣神サンダーライガーを低く保ち……

 大会公式炎武連夢を……

 巧みな和術慧舟會……

 プロ志望者の闘龍門的な……

 プロレスや格闘技が好きな方なら分かるかもしれませんが、

 以前の「単語登録」が呼び出される時、このような現象が起こります。

 原稿を打ち込んでいて、ライガーが出てきた時は、さすがに笑いそうになりました。

 低く保ってもなあ……。
 なあ、聞いてくれよ。僕は今日、地中海を発見したんだ。

 ビックリしたよ。こんなところに地中海があるなんて思わなかったんだ。

 見つけたのは、地図の中なんかじゃないさ。

 教えてほしいかい? しょうがないなあ。

http://www.town.tawaramoto.nara.jp/05_others/public-relations/2005_10/051010.pdf

 ちょっとビックリするっしょ(笑)!?
 競馬「皐月賞」の馬券を買った。が、外れた。

 3頭のボックス(全組み合わせ)買いで、選んだ馬の着順は、

 1着、4着、5着。2着は、迷った末に買わなかった馬だった。

 この程度のことは、よくある話。迷う程度の馬はいくらでもいる。

 ただ、外れてみて気が付いた点が、妙に嫌な気持ちにさせてくれる。

 5着の馬の名前は「フサイチリシャール」。飲めない酒を買う道理は無い。

 2着の馬の名前は「ドリームパスポート」。とても嫌な買いそびれだ。
 登録だけしていながら、まったく使わずにいた「ミクシィ」。

 コミュニティに色々な学校があることを知りました。

 ごく普通に知っている人がいないか調べてみました。

 いました(笑)。
 ずっと以前にお誘いを頂いていた「ミクシィ」に参戦します。誘われた時にページだけは作ったものの、放置していました。

 聞くところによれば、日記はこっちで書いていても、ミクシィのプロフィールページに、RSSで更新記録が送信されるそうで。

 ミクシィをやっている方は、ニックネーム「hedgehog」で検索して頂ければ、幸いです。
「オレたちが、“渋谷・屋根裏のキング・オブ・ルーキー”ケセラ・スパンキー・ローズです」

 ステージの真ん中に立った男の宣戦布告は、そんな言葉だった。

 コミカルなバンドの後に、ロカビリーテイストの混じったロックが鳴り響く。

 最近は以前と違い、雰囲気からはじき出されることが少なくなった。

 妙な恥じらいや、貧弱なプライドや、薄っぺらい芝居や、パニックに陥った言い訳が消えた。

 彼らは、1つの世界を作り出し、空間を飲み込む。デカい口の中に入った気分になると、気持ちいい。

 いつか同じ場所でライヴを見た時に、こう思ったことがある――「渋谷の町ごと飲み込め」

 飲み込まれた者には、もはやその世界の大きさは分からない。だが、確かに以前とは桁違いである。

 何の根拠もないのだが「確かに」と書ける感覚がある。彼らはきっと、アーティストになったのだと思う。

 地下室を出た後、降り落ちる雨粒の一つ一つに、聞き取れない早口で言う。

「屋根裏のルーキーどころの騒ぎじゃねえさ」

 文句なし。以上。
「バファリン」の半分は、優しさでできています――ライオンの有名薬品のCMにこんなセリフがあったのを覚えているだろうか。

 最近、このセリフをヒントにした奇妙な言葉遊びフリーソフトがインターネット上に出回っている。

成分解析 Ver0.2a (For Windows)
http://tekipaki.jp/~clock/software/

 早速、「hedgehog」で解析してみた。

hedgehogの成分解析結果 :

hedgehogの42%は根性で出来ています。
hedgehogの41%は白い何かで出来ています。
hedgehogの13%は玉露で出来ています。
hedgehogの4%は鉄の意志で出来ています。

 気合いを入れるか、セックスするか、お茶飲むか、ってトコか。当たらずも遠からずだ。
 すき焼きが少ししか食べられなくなったのは、いつだったろうか。

 あまりにも早く箸が止まったため、自分自身が驚いてしまった。

 そして最近、似たような現象が起きている。チャーシューが多いと感じるのだ。

 ラーメン屋に行っても“チャーシュー麺”を注文することは、ほとんどなくなった。
 将来の夢は? 動物。

 動物でありたい願いは、人でありたくない逃避か?

 人はなぜ「将来」にばかり賭けたがるのだろうか。

 今の夢以外は、何にもなりはしないんじゃないのか?

 何にならなくてもいいから「将来の夢」か?

 意味が広すぎて捉え間違えるよ、夢。
「2着、3着」――聞き飽きました……。
 自分と戦い、他人と戦う。麻雀は、そんなゲームだ。

 気持ちの弱い人間や、頭の悪い人間は両立ができずに負ける。

 ゲームをする以上、強いに越したことはない。

 だが、どうしても引っかかるものがある。

 麻雀は、他人の裏をかくゲームでもある。

 その手法を覚えることは、禁断の果実を食べることであるような、そんな気がする。

 詐欺師と僧侶と政治家と女。そんな麻雀があったらば、どんなふうになるだろう。

 ちなみに、オレは今日も負けた。
「疾走」 【4月7日(金)】
 作り話のくせに、悲しい話。「ひとり」を何度も繰り返す物語。

 いかにも劇的に、突き動かす話。シュウジと自分を重ねる時間。

 歪んだセックスと、どこかにある殺人犯の伝え。作られた最後の瞬間。

 現実に戻されていく。ゆっくりと戻っていく。ゆっくりとしか戻れない。

 ひどく疲れる話。言葉が短くなっていく。涙は、出ない。

 朝が来ればまた、いつもがやってきて、物語は遠ざかる。

 ほかの本を読む。きっとたくさん忘れる。震えることもない。

 描かれた世界は、遠いようで近く、やはり少し遠い。

 自分が壊れた時、自分にその認識はあるのだろうか。

 見えない気がしてならない。いかにしても、見えない気が、する。

 壊れたくないと毎日思う。たまには、壊れたいとも思う。

 ただ、甘えられる場所がもうない。何も傷つけないことは、もうできない。

 言葉は世界を生み、世界で言葉で無力。顔をよく動かす意味を知った気分。

 映像は見たくない。僕の頭のどこかに、時々、ふと、描かれる、だろう。

 現実でないことを、今は願う。俺に。俺は生きる、べきだから。

 寂しいのだと、知った。
 エレベーターの扉が開き、通路へ歩を進めると、取締役の顔があった。

 同時に声があった

「目付きが悪いな。お前、明日から笑う練習しろ」

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